≪査読付研究ノート≫災害とソーシャル・キャピタルに関する一考察 ―熊本県益城町津森地区を事例に―

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長崎県立大学准教授 黒木誉之


キーワード:

ガバナンス 災害 ソーシャル・キャピタル サードプレイス


要 旨:

 本論文では、地域社会が「ガバメントからガバナンスへ」と変容してきた現在、ソーシャル・キャピタルを地域社会を支える鍵概念と位置づけている。そして、災害が続く現状に鑑み、熊本県益城町津森地区を事例として、被災地でのソーシャル・キャピタル醸成について考察している。特に、⑴平時におけるソーシャル・キャピタルの醸成が災害時のソーシャル・キャピタル醸成の背景となっていること、⑵ソーシャル・キャピタルは動態的な概念であること、⑶災害時のサードプレイスが新たなソーシャル・キャピタル醸成に効果的であったと論じている。最後に、これからの地域社会においては、「サードプレイス」がソーシャル・キャピタル醸成のための新たな鍵概念として期待されると結論づけている。


構 成:

Ⅰ はじめに

Ⅱ 先行研究の整理と本論文の視点

Ⅲ ソーシャル・キャピタルの概念と分類

Ⅳ 災害とソーシャル・キャピタル

Ⅴ おわりに


Abstract

 This paper positions social capital as a key concept in supporting community with the transformation of community “from Government to Governance”. Considering the current situation under which disasters occur frequently, this research focuses on social capital development in disaster affected area using the case of Tsumori district in Mashiki-machi, Kumamoto Prefecture. Especially what this paper points is as follows : ⑴ Social capital development during peacetime could be the background of the social capital development in disaster situation, ⑵ Social capital is a dynamic concept, and ⑶ “the third place” in a time of disaster was effective in fostering new social capital. Finally, this paper concludes that the third place can be expected to work as a new key concept for social capital development in the future community.


※ 本研究ノートは学会誌編集委員会の査読のうえ、掲載されたものです。

Ⅰ はじめに

 バブル経済が崩壊し人口減少、少子高齢化社会に突入している現在、国・地方の財政は逼迫している。このため、自治体の公共領域からの後退や地域の自治機能も低下してきた。一方、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。ボランティアの数は延べ167万人にのぼり「ボランティア元年」といわれている1)。1998年にはNPO法が施行され、現在では地域社会の担い手としてボランティアの活躍が期待されている。このような背景から地域社会のあり方は「ガバメントからガバナンスへ」と変化してきた。ここでガバメントとは、政策決定や公的サービス生産供給の主体が一元的な統治社会を意味し、ガバナンスとは、その主体が多元的な協治社会を意味する2)。ガバナンス社会の担い手として不可欠なのが自治的市民であるが、自治的市民も一人ではガバナンス社会は構築し得ない。自治的市民が幾人も台頭し、一人ひとりの個人的自治が集積し集団的自治へと発展していく必要がある。このことは災害が続く昨今、「自助」「互助」「公助」という言葉が注目されていることからも伺える。しかし、この自治的市民であるが、未だ市民間に温度差があるのが現状である。確かに被災地においては、前述のボランティアの活躍のほか、災害に直面した状況で被災者自身が規律を守り、連帯し、互いに支え合う関係が構築された「災害ユートピア」3)という状況が生まれている。しかし、それは永続的なものではなく、日常生活に戻れるようになると解消していくことも指摘されている4)

 そこで、個人的自治をネットワーク化し集団的自治へと発展させる鍵概念として期待されるのが「ソーシャル・キャピタル」である。本論文では、災害が続いている現状に鑑み、災害とソーシャル・キャピタルの関係性に着目し、被災地でソーシャル・キャピタルがいかにして醸成されているのか考察する。そして、その後の地域社会におけるソーシャル・キャピタルの醸成についても展望してみたい。


Ⅱ 先行研究の整理と本論文の視点

1 先行研究の整理

 本論文に関する先行研究として、災害とソーシャル・キャピタルに関する先行研究を図表1にまとめ、簡潔に説明する。


図表1 災害とソーシャル・キャピタルに関する先行研究一覧

(筆者作成)


 川脇(2014)では、東日本大震災被災地調査の個票データをもとに、震災前の地域活動に見られるソーシャル・キャピタルの醸成が震災後の支援・受援にどの程度影響を与えているか実証を試みた。分析結果から、支援者と受援者の相互関係性や連鎖的な共助活動が考えられることを示した。また、平時からの地域活動への参加程度が高いほど支援・受援活動の可能性が高くなることを示唆している。さらに、平時から地縁的な活動への参加が高いほど災害時に受援する可能性が高く、ボランティアなどの市民活動への参加が高いほど災害時に支援する可能性がより高まると論じている。

 今井他(2015)では、東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町を事例に、災害過程における地域組織の役割をコミュニティ・レジリエンス、ソーシャル・キャピタルなどの観点から明らかにすることを試みている。その結果、地域組織がその時々の状況、ニーズに応じた活動を展開し、コミュニティ・レジリエンスの向上やソーシャル・キャピタルの活用・醸成に寄与していること、そうした地域組織の活動が連帯的・水平的ネットワークを生み出し、ローカル・ガバナンスの構造に変容をもたらす可能性に言及している。そして、地縁組織の社会・文化資産、ソフトパワーの継承・発展がコミュニティ・レジリエンスの向上には重要であると指摘している。

 志賀(2016)では、ソーシャル・レジリエンス概念を手掛かりとして、関連概念や復興フレームワークを取り上げ、災害復興過程に必要な諸要素を検討している。その1つとして、ソーシャル・キャピタルのほか「適応可能キャパシティ」という概念を紹介している。地方自治体や国からの支援や助成には限界があることから、限られた人材や費用などの資源を効率的に使うことが重要となる。そこでは、それを被災地内外のリソースを活用する力・可能性を意味する概念として紹介しており、NPO組織や復興関連プロジェクトを巻き込む力になるとしている。  

 吉澤(2017)では、地方自治体が地域で形成されるソーシャル・キャピタルを活用し、災害リスクガバナンスを形成することの重要性を指摘している。その過程で、ソーシャル・キャピタルの新たな指数として、他者との関わりをより強く反映した社交性指数を設定し分析を試みている。その結果、住民が様々な地域コミュニティ活動に参加することでソーシャル・キャピタルを高め、より災害リスクを減少させることが可能になると推察している。

 宋(2019)では、ソーシャル・キャピタルのどのような「信頼」「ネットワーク」「規範」が、どのように人々に利益をもたらしたのかについて、発生論的、機能論的な検証を試みている。また、ソーシャル・キャピタルの結束型と橋渡し型の2つの類型を前提に、両者の結合・分離の諸契機が被災地の早期復興の成否につながる重要な要件であることを中国被災地に対する外部からの資金支援の事例をとおして検証を試みている。そして、ソーシャル・キャピタルの結果や成否は、ソーシャル・キャピタルの状況やそれに対する人々の理解や相互行為によって、常に停止、消滅、転換の可能性があり、テストされるものだと指摘している。


2 本論文の視点

 以上のような先行研究において、ソーシャル・キャピタルが災害時の共助や災害復興の推進力になることを前提に研究が行われている。しかし、その前提として、ソーシャル・キャピタルをいかにして醸成するか、という点については必ずしも明らかにされていない。この点、佐藤嘉倫が、『ソーシャル・キャピタルと社会』(佐藤編著[2018])においてソーシャル・キャピタルの生成過程研究の難しさを指摘している5)。佐藤は、ソーシャル・キャピタルの生成過程を、①家族、親族のような血縁関係や地縁関係を例にした非意図的なソーシャル・キャピタルと、②新興住宅の地域の祭りや異業種交流会を例にした意図的なソーシャル・キャピタルに分類する。前者①はネットワークに所属する行為者が自分の効用が高まると期待できなければソーシャル・ネットワークに変換されず、後者②も自分たちの効用がパレート改善されると期待できる場合のみソーシャル・キャピタルに変換されると指摘する。その上で、ソーシャル・キャピタルの生成過程には、利他的利己主義と互酬性が重要であり、現代社会においては互酬性を確保し広げていくことが鍵を握ると論じている。

 そこで本論文では、まず、被災地でソーシャル・キャピタルがいかにして醸成されたのか考察することを目的とする。事例としては、先行研究にはない熊本地震の被災地、熊本県益城町津森地区(以下、「益城町津森地区」という。)を事例に分析を試みる。その上で、災害前の①平時期、後述のとおり集団避難を実施した②災害発生期、避難所を自主運営した③復旧期の3段階に区分し、ソーシャル・キャピタルの変容についても考察したい。そして最後に、避難所が閉所され自宅や仮設住宅そして災害復興住宅へと分かれ、普段の生活へと戻っていく④復興期について若干の考察を試み、その後の地域社会におけるソーシャル・キャピタルの醸成についても展望してみたい。

 なお筆者は、熊本地震の本震が発生した2016年4月16日から休日を利用し、毎週のように災害ボランティアに足を運んだ。その過程で被災者の方々にヒアリング調査を行ってきた6)。後述の益城町津森地区における平時期から現在の復興期に関する被災者等の活動内容は、その調査結果によるものである。


Ⅲ ソーシャル・キャピタルの概念と分類

1 ソーシャル・キャピタルの概念

 ソーシャル・キャピタルの概念を最初に使ったのは、L.J.ハニファンといわれている7)。ハニファンは、ウェスト・ヴァージニア州農村学校の指導主事であり、1916年の「The Rural School Community Center」において、学校を成功に導くには地域社会の関与が重要であると主張した。その重要な要素として、善意、仲間意識、共感、そして社会的交流を挙げている。1960年代にはJ.ジェイコブスが、都市計画論の分野において隣人関係などの社会的ネットワークに着目した。1980年代に入ると、フランスの社会理論家P.ブルデューが、個人に着目した上で、社会的ネットワークに内包された社会的・経済的資源を強調するものとして用い、例えば「人脈」や「コネ」、「顔の広さ」も含むとされている。社会学者のJ.S.コールマンも同様に個人に着目した上で、ある特定の行為を促進するような機能をもっているものと定義した。その行為とは「他人との協調行動」と解釈され、その協調行動が成功することによって「信頼」を生み、それによって次の「協調行動」 が促進されたり、その他の様々な「利益」の源泉になるものとされた。そして、ロバート・D・パットナムがコールマンの研究を発展させることになる。

 ソーシャル・キャピタルの概念が日本で特に注目されるようになったのは、ロバート・D・パットナムの『哲学する民主主義』(パットナム著・河田訳[2001])や『孤独なボウリング』(パットナム著・柴内訳[2006])によってである。パットナムによれば「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(パットナム著・河田訳[2001]、206-207頁)、「社会関係資本が指し示しているのは個人間のつながり、すなわち社会的ネットワーク、およびそこから生じる互酬性と信頼の規範である」(パットナム著・柴内訳[2006]、14頁)と定義している。その上で、ソーシャル・キャピタルの要素として、①信頼(人々が他人に対して抱く信頼感)、②互酬性の規範(お互い様、持ちつ持たれつ)、③ネットワーク(人や組織の間の絆)の3つが必要とされている8)

 ここで前述のブルデューやコールマンとパットナムが異なるのは、ソーシャル・キャピタルを個人ではなくコミュニティ、社会に帰属する概念として着目した点である9)。しかし本論においては、これからのガバナンス社会を構築する上で自治的市民の台頭が不可欠と考え、そのためには、一人ひとりの個人的自治が集積し集団的自治へと発展していく必要がある。その鍵概念としてソーシャル・キャピタルを位置付けるのであるが、個人的自治と集団的自治はインタラクティブな関係にあることから、ソーシャル・キャピタルの概念はパットナムの定義を前提にするにしても、個人に帰属する面と、コミュニティ、社会に帰属する面の両方を有する概念として定義づけることとする10)


2 ソーシャル・キャピタルの分類

 第1に、水平的ネットワークとして、①結束型(bonding)と、②橋渡し型(bridging)の2つに分類される11)。①結束型は、学校のサークル・同窓会など、同質な者同士が結びつく社会関係資本とされている。②橋渡し型は、NPOのネットワークなど異質な者同士を結びつける社会関係資本とされている。特徴として①結束型は、つながりの強さと構成員の均質性を有し安定性があるが、発展性に乏しく排他性を引き起こす危険性がある。②橋渡し型は、つながりの緩やかさと構成員の多様性を有するため発展や活性化が期待されるが、つながりは不安定で継続性は確実ではない。このように、①結束型と②橋渡し型それぞれに強みと弱みがある。

 第2に、垂直的ネットワークにおいては、③連結型(linking)があるとされている12)。③連結型は、ボランティア団体が活動資金を公的機関から獲得する関係や、それをサポートする中間支援組織など、権力や社会的地位といった社会的階層が異なる個人や団体などを結びつける社会関係資本とされている。

 以上のように、ソーシャル・キャピタルは、水平的ネットワークとしての①結束型と②橋渡し型、垂直的ネットワークとしての③連結型に分類されている。しかし、概念上このように分類されるにしても、果たして実態上も、1つのソーシャル・キャピタルを1つの分類に区分できるのであろうか。前述の個人的自治は、発展段階的に成熟していくことにより、他の個人的自治と連結することが可能となり、その連結関係の集積が集団的自治への形成へと転化していく13)。別言すれば、自治概念は動態的概念であるからこそ集団的自治を形成し得るように、ソーシャル・キャピタルも動態的概念と捉え、その特徴が変容するものと考えられるのではないだろうか。

 そこで以下、熊本地震の被災地である益城町津森地区の現地調査の結果から、被災者による取り組みをソーシャル・キャピタルの視点から考察するとともに、これらの点についても明らかにしていきたい。


Ⅳ 災害とソーシャル・キャピタル

1 平時期:熊本県益城町と津森地区の概要

 熊本県益城町は、水と緑そして肥沃な大地に恵まれ農業を基幹産業として発展してきた町である14)。また、熊本県のほぼ中央北寄りに在り県都熊本市の東に隣接している。空の玄関口である「阿蘇くまもと空港」や「益城熊本空港インターチェンジ」などの交通拠点も有することから、企業が集積する熊本県テクノリサーチパークも所在する。このため、企業進出や流通拠点の機能に加え、熊本市のベッドタウンとしての機能も併せ持ち、今後の発展が期待されていた。

 この益城町を震源地として、2016年4月14日を前震、16日を本震とする熊本地震が発生した。震度7を2回経験するとともに8月20日には震度1以上の地震回数が2,000回に達した15)。地震の発生直後は、町や県などの行政機能が麻痺していることは十分予想される。このような状況下において益城町には、被災者自らの判断により地域で集団避難し、避難所でも自主運営を行った「津森地区」がある16)。では、この津森地区がなぜこのような行動をとり得たのか、その要因等を明らかにするために調査を行った。

 益城町には当時、82の行政区があり5つの地区に分けられていた。その1つである津森地区は上陣、堂園、杉堂、上小谷、下小谷、田原、寺中、北向、下陣の9つの行政区で構成されている。益城町の北東端に在り菊陽町と西原村に隣接し、木山川と農地や山林など緑に恵まれた地域である。熊本地震前の2016年3月末の人口世帯数は、益城町が34,499人、13,455世帯に対し、津森地区には2,370人、878世帯が生活を営んでいた17)。少子高齢化が進んでいるというが、地区内に所在する津森神宮の「お法使(ほし)祭り」は地域の人々に愛され約700年も続いている18)。また、上陣地区の区長の話によれば、地区にある霜宮神社では毎年12月の第1日曜日に「千度詣り」と「大祭」が行われており、地区の大切な行事の1つになっている19)。さらにこの地区では、毎年1月14日に「もぐら打ち」という行事が行われる。老人会で作られた竹と藁製の棒を子どもたちが持ち家々を訪ね、玄関先の地面を歌いながら叩いて田畑を荒らすもぐらを追い出し、五穀豊穣や家内安全を祈る儀式である。2018年1月14に取材した際も、子どもたちは老人会で作られた棒を持ち家々を訪ね回るとともに、お年玉やお菓子をもらい地域の大人との世代を超えた交流をしていた。地区の女性も炊き出しなどで各種行事に参加している。さらに、全国的に消防団員の不足が指摘される昨今でも、津森地区の消防団分団長の話では、仕事等で熊本市内に在住していても出身地である津森地区の消防団に所属している者が多いという。このように地域文化の継承等を通じ世代を超えてコミュニティの絆の強い地域である。このため、各区長は名簿がなくても各世帯の家族構成等を理解しているという。


2 災害発生期:集団避難と阿蘇熊本空港

ホテル・エミナース

 津森地区の指定避難所は津森小学校である。しかし、地元区長や消防団分団長の話では、前震と本震の影響で体育館や校舎等は倒壊の危険があり施設内への避難は難しい状況であった。さらに、木山川にかかる橋が渡れなくなれば孤立してしまう可能性もあり、消防団分団長、区長、そして町議等が協議し、地区内に所在する阿蘇熊本空港ホテル・エミナース(以下、「エミナース」という。)に集団避難することを決断した。

 エミナースは、阿蘇くまもと空港から約2㎞、車で約3分の場所にあり、天然温泉を有するリゾート型ホテルである20)。プールや人工芝スポーツコートを有し宿泊客以外でも利用が可能であるため地域住民にも親しまれている。もちろん、エミナースは指定避難所ではない。エミナース職員の話では、当日は宿泊客も滞在しており最初は戸惑いもあったようだが、地域に根差す企業として被災者受け入れを決断した。もっとも、被災者全てを施設内に入れることは困難であり、施設倒壊の恐れもあった。そこで、エミナースの本社となる熊本交通運輸株式会社が大型バス等を提供し、高齢者、乳幼児を抱えた女性、子どもたちを優先してバス内で過ごしてもらった。その後、建物倒壊の恐れもあったが本人同意を前提に、前述の被災者を中心に500名ほどを施設内に受け入れ、その他はエミナースの駐車場で車中泊として受け入れた。最終的には津森地区以外の被災者も加え2,000人を超える方々が避難したという。


3 復旧期:避難所自主運営

 区長等の話によれば、エミナースに避難した被災者たちで自主運営が始まった。9つの区長は避難所運営のルール作りから始まり、その日になすべきこと、今後の課題などを確認・協議するため、本震の翌日から毎朝、区長会議を行った。当初の区長会議は、区長会、消防団分団長、町議、エミナースの4つのアクターで構成された。当初は本震が発生して時間が経っていないことや余震も続いていたため感情が高ぶっていたり、全てがはじめてのことであったため話がまとまらないこともあったようである。しかし、平時期よりソーシャル・キャピタルが醸成され絆の強い地区であったこと、津森地区内の9人の区長や町議、消防団など平時からの地域の担い手となる主要メンバーが揃っていたこと、自主運営という目標の共有化が図られていたことなどから、機能していくようになる。例えば区長会は、「国や県があなたに何をしてくれるかを言うのではなく、今、みんなのために何が出来るかを考えよう」という標語を書き貼り出し、被災者に自主運営の協力を求めている。また、時間の経過とともに日赤や、全国から派遣されてくる自治体職員、外部からの支援者・支援団体等も自主運営に加わるようになる。例えば、東日本大震災被災地で災害ボランティアの経験がある津森地区出身の女性が帰郷しており、その女性が救援物資受け入れ等を担当した。飲食店経営者で災害ボランティアの経験がある男性支援者が福岡市から駆けつけ長期滞在し炊き出しによる食事提供の支援を続けた。それを被災者である女性たちがサポートする関係が形成されていく。さらに、熊本市からの女性支援者が毎日通い被災者の交流の場としてのコミュニティ・カフェの設置と運営を行っている。同様に、先の福岡市からの男性支援者が夕食後に被災者と支援者及び支援者同士の交流の場を設けている。このことにより支援者との交流が促進され一定数の避難所への支援者が確保されていくようになる。このように支援者が増えるにつれ、毎朝の区長会議にも参加者が増えるようになっていった。加わった当初は、遠慮もあり区長会等の要望に応えることに終始していたようであるが、信頼関係が形成されるに従い、それぞれの専門領域から各自が意見を述べ、意思決定、合意形成、課題解決に積極的に関わっていくようになっていった。


4 ソーシャル・キャピタルからの考察

① 平時期

 第1に、平時期においては、益城町津森地区は地域文化の継承等を通じ、世代を超えてコミュニティの絆の強い地域であることが分かった。水平的ネットワークの視点からは、①各行政区の自治会や老人会、並びに消防団等がそれぞれに「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」の要素を満たし、結束型ソーシャル・キャピタルとして機能していた。さらに②祭りなどが先の団体等のネットワークを強める結束型ソーシャル・キャピタルとしての機能を有するとともに、団体間のネットワークや地域の世代を超えたネットワークを形成する橋渡し型ソーシャル・キャピタルとして機能していた。

② 災害発生期

 第2に、災害発生期においては、集団避難の段階から各区長と消防団が団結し、地区のリーダーシップをとるようになる。平時期における各行政区の自治会と消防団は、それぞれが結束型のソーシャル・キャピタルである。そして、これらの団体は、お互いに必要に応じて情報交換や連携するなど、緩やかなネットワークを構築しており、橋渡し型のソーシャル・キャピタルを形成していた。しかし、集団避難という目標を共有し被災者誘導を協働することで「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」の要素が強くなり、団体間のネットワークは橋渡し型から結合型ソーシャル・キャピタルへと移行している。

③ 復旧期

 第3に、復旧期については、図表2を用いて説明する。前述のとおり避難当初、避難所で毎朝の区長会議が、消防団、町議、エミナースを加えた4つのアクターで開催されるようになる。区長等の話によれば、全てが初めてのことではあったが、平時期よりソーシャル・キャピタルが醸成され絆の強い地区であったこと、津森地区内の9人の区長や町議、消防団など地域の担い手となる主要メンバーが揃っていたこと、自主運営という目標の共有化が図られていたことなどから、「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」の要素が次第に強くなり、図表2中「区長会議のソーシャル・キャピタル①」は、平時期の橋渡し型のソーシャル・キャピタルの関係から、この困難な状況を克服するために結束型のソーシャル・キャピタルの関係へと変容していった。また、時間の経過とともに日赤、全国から派遣されてくる自治体職員、外部からの支援者・支援団体等も区長会議に加わるようになる。当初は新たなアクターは遠慮がちで、図表2中「区長会議のソーシャル・キャピタル②」は、それぞれを緩やかなネットワークで結ぶ橋渡し型ソーシャル・キャピタルとして機能していた。その後、区長等の話によれば、避難所の自主運営という目標の共有化と支援者の固定化並びに信頼関係の形成が進むとともに、役割分担と合意形成への参加も促進され結束型ソーシャル・キャピタルへと移行していった。さらに行政等公的機関への要求等を伝える場にもなり、連結型ソーシャル・キャピタルとしても機能していた。



図表2 避難所自主運営に係る関係図