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≪査読付論文≫決定プロセスの構造化理論:京都市市民活動総合センターの設立プロセスを事例として

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近畿大学教授 吉田忠彦


キーワード:

市民活動支援センター 構造化理論 ゴミ箱モデル 社会学的制度理論


要 旨:

 京都市市民活動総合センターは、最初の構想から12年を経て設立された。しかし、もともとの構想は市民の芸術活動や文化活動の支援を目的としたものであった。それが市長の交代、阪神淡路大震災とその後のボランティアブーム、NPOブーム、新市長の下での市民参加の重視など、いくつかのイベントや背景の変化によって、センターの名称やコンセプトを変化させた。またその変化は、センター計画に関わるアクターにも影響を与えた。このような計画とそれに関与するアクターの両者の相互作用と相互変化を説明するために、ゴミ箱モデルと構造化理論を検討する。そして構造化理論の応用モデルを提示する。


構 成:

Ⅰ はじめに

Ⅱ 京都市市民活動総合センターの概要

Ⅲ 京都市における市民活動支援センターの構想の流れ

Ⅳ 考察―理論の検討と応用―

Ⅴ おわりに


Abstract

 The Support Center for Civic Activities in Kyoto was established, 12 years after conforming the initial concept. But it differed from the first concept that aimed at supporting art and cultural activities by the Kyoto City citizens. Names and concepts of the Center were changed several times, which were triggered by replacement of a mayor, a big earthquake, a NPO boom, a considering of civic participation etc. And also those changes affected actors who concerned planning of the center. I suggest some limits of the Garbage Can Model and the Structuration Theory through analysis of this case. I present a revised model of the Structuration Theory in conclusion.


※ 本論文は学会誌編集委員会の査読のうえ、掲載されたものです。

Ⅰ はじめに

 京都市市民活動総合センターは、この種の施設が全国的に普及していた時期に設立され、設置形式も市が設置しNPO支援組織に委託するといういわゆる公設民営方式を採っており、制度化の流れに乗ったものと見ることができる。しかし、設立に至るプロセスを詳細に観察すると、単なる模倣的同型化の結果として片付けられない多様な経緯と意図の交錯があった。

 京都市では、阪神・淡路大震災の翌年に市長が交代したこともあり、市民活動支援センターの計画が急ピッチで進められた。しかし、市民活動センターのコンセプトは必ずしも固まったものがあったわけではなく、震災の前に提示されていた最初の構想は、その後に震災、市民参加、ボランティア、まちづくりといったいくつかの要因やそれに関わるアクターの活動によって何段階かの変遷を経ながら、また近接するセンターとの棲み分けの論理を模索しながら固められていった。

 このセンターの設立プロセスについては、すでに別の機会に詳細な記述を行っているが1)、本稿においては、このセンターの名称やコンセプトがどのように修正されていったかを中心に再構成し、ゴミ箱モデルおよび構造化理論による分析の限界を指摘する。そして、その限界を克服するひとつの試みとして構造化理論の応用モデルを提示する。


Ⅱ 京都市市民活動総合センターの概要2)

 京都市市民活動総合センターは、市民活動支援のための施設として2003年(平成15年)6月に京都市が設置したものである。このセンターは、小学校の跡地に建てられた地下2階地上5階建てのひと・まち交流館京都の2階フロアーの約半分の面積の650㎡の中に、大小の会議室、印刷室、ライブラリー、スモールオフィス、情報コーナー、ロッカー、メールボックス、自由スペースなどを備えた施設であり、誰もが自由に利用できる。来館者数は年間約10万人で、その他に電話での応対が年間で約3万件、講座やイベントも実施されている。

 管理運営はオープン以来、特定非営利活動法人きょうとNPOセンターが担っている。初年度の予算は人件費も併せて8,100万円であった。平成28年度では5,940万円となっており、予算こそ徐々に少なくなってはいるものの、公設民営の市民活動支援施設としては日本で最大級のものである。

 ひと・まち交流館京都は、まちづくりや福祉などの市民活動にかかわる諸施設が合築された複合施設であり、この市民活動総合センターに加えて、福祉ボランティアセンター、長寿すこやかセンター、そして景観・まちづくりセンターの合計4つの京都市のセンターが入るほか、京都市社会福祉協議会(社会福祉法人)、京都福祉サービス協会(社会福祉法人)、京都市老人福祉施設協会(一般社団法人)、京都市老人クラブ連合会(一般社団法人)、京都ボランティア協会(一般社団法人)などの福祉系の団体の事務所や、菊浜老人短期入所施設(京都市社会福祉協議会が管理運営)なども入っている。共用部分については京都市社会福祉協議会が管理団体となっている。


Ⅲ 京都市における市民活動支援センターの構想の流れ

1 後発となった市民活動支援センター計画

 公設民営の市民活動支援センターのモデルといわれる仙台市市民活動サポートセンターが設立されたのが1999年であり3)、それから遅れること4年、京都市もまた公募によって地元のNPO支援組織から管理運営団体を選び、公設民営で支援センターを設置した。その間には主要な都市の多くで市民活動支援センターの設置が進められており、京都市のセンターも、会議室、印刷室、ライブラリー、スモールオフィス、情報コーナー、ロッカー、メールボックス、自由スペースなどを備え、他市の多くの支援センターと同様の仕様となっていた。

 また、このセンターの仕様を検討する委員会では、仙台市市民活動サポートセンターの管理運営を担うせんだい・みやぎNPOセンターの理事のひとりが委員長を務めた。

 このような経緯を見るかぎりでは、京都市市民活動総合センターは仙台市のセンターをモデルとして全国各地で急速に設置されていった公設民営の市民活動支援施設の普及の流れに乗った事例のひとつに見える。また、社会学的制度理論でいうところの模倣的同型化が京都市市民活動総合センターを生み出したという見方もできるかもしれない。しかし、後述するように、関係者への聞き取りや京都市の関係資料の分析から明らかになったことは、他市での市民活動支援施設の設置の流れがプレッシャーになって京都市での施設の計画が始まり、その仕様も同型化の圧力にしたがったというのではなく、その元となった構想は仙台市の施設が生まれる前からすでにあったということであり、さらにその構想が何度かの変質を経たこと、そしてその変質にはさまざまな要素が関係しているということであった。


2 最初の構想

 最初の構想は、仙台市のセンターが設置されるよりも8年も前の1991年(平成3年)にすでに生まれていた。1989年(平成元年)に市長に就任した田邊朋之は、元は京都府医師会長も務めた医師であった。そうしたバックグランドもあって田邊は健康都市構想を打ち出した。その構想は懇談会によって1991年(平成3年)に「京都市健康都市構想(提言)」としてまとめられた(京都市[1992])。その構想においては5つの重点施策があげられ、その中のひとつである「創造を続ける暮らしづくり」のシンボル事業として市民創造活動センター創設の計画が明記された。これがそれから12年後に京都市市民活動総合センターとして実現する施設の最初の構想であった。

 しかし、市民創造活動センターのコンセプトは、市民学芸員の登録制度などを盛り込んだ生涯学習やボランティア活動などを支援するセンターというものであり、市民の余暇活動や生涯学習としての芸術活動や文化活動の支援がイメージされていた。それは、後に全国に普及するようなボランティアやNPOの活動の支援を行う市民活動センターとはかなり趣の異なるものであった。文字通り、市民の創造活動の支援センターが構想されていたのである。


3 阪神・淡路大震災と市長交代

 田邊市長による健康都市構想の下で構想された市民創造活動センター設立計画は、1993年(平成5年)にまとめられた新京都市基本計画「平成の京(みやこ)づくり」にも引継がれたが、具体的な実施計画がまだまとまらない中4)、1995年(平成7年)の1月に阪神・淡路大震災が起こった。この震災が日本の社会に与えた影響は大きく、京都市でも災害支援やボランティアが大きなテーマになっていった。

 さらに、この頃に田邊市長が体調を崩し、1996年(平成8年)の1月には任期途中で市長を辞任することとなった。その翌月に桝本賴兼が新しい市長となり、新市政のアクションプランの中にボランティアセンターの整備があげられた(京都市[1996b])。ここで市民創造活動センターの構想は、市民の文化・レクリエーション活動の支援からボランティア支援へとその重点が移っていき、名称もいつの間にかボランティアセンターとなっていた。

 新市政のアクションプランにおいては、高齢者を対象とする市民すこやかセンターとボランティアセンターの整備は、どちらもアクションプランの「ひとが元気」のカテゴリーの中にあることや、福祉分野であるということから、2つのセンターの一体的整備を前提とする基本構想策定が、京都市ボランティアセンター・京都市市民すこやかセンター(仮称)基本構想策定委員会に諮問され、1998年(平成10年)1月にその答申である「ボランティア活動推進のための基本方針」が出された(京都市[1998])。


4 ボランティアセンターの棲み分け

 1995年の震災の直後に多くのボランティアが被災地に駆けつけたことで、政府はボランティア支援の法律を計画したが、市民活動団体側からボランティアを支援するよりもその受け皿となる団体の設立や法人化のための法の整備が必要であるという声があがり、NPO法へと方向が転換し、それは1998年(平成10年)に特定非営利活動促進法として実現した5)

 震災の前からすでにNPOについての関心は高まっていたとはいえ、その法制度が実現するまでに至ったのは、やはり震災の与えたインパクトの大きさによるものだった。震災の翌年には日本NPOセンターが設立され、仙台、横浜、鎌倉、大阪、神戸、広島などでもNPOの支援組織が設立されていった6)。また、都道府県では特定非営利活動法人の認証事務が行政の仕事に加わった。都道府県に限らず、自治体ではNPOをはじめとする市民活動の支援が必要であることが認識されていった。

 京都市では1996年(平成8年)10月に設置され、1997年(平成9年)3月まで行われた市民活動推進懇談会の提言、元気な京都づくりアドバイザー会議の意見、ボランティア活動等市民活動推進調査報告などを踏まえ、基本方針とほぼ同じタイミングで「京都市ボランティア活動総合支援センター(仮称)の基本構想について」の答申が出された(京都市[1997d])。ボランティアを中心としながらも、「従来の領域ではとらえられない活動の支援」、「地域や各領域の活動をネットワークし、交流する仕組みづくり」など、市民活動全般にわたっての支援の方向性が示されたのである。そして、センターの仮称の中に「総合」という言葉が加わったのである。

 それと同時に、従来型のボランティアについては福祉分野を中心とするものであるということ、これまで京都市社会福祉協議会がボランティア・コーディネートの中心的な役割を果たしてきたこと、またその京都市社会福祉協議会が自前でボランティアセンターを設立していたということがあり7)、独立した福祉分野のボランティアセンターの設立が計画されることになった。つまり、ボランティアセンターは、従来の福祉を中心とする福祉ボランティアセンターと、分野を限定しないボランティア総合支援センターとに分けられたのである。


図1 京都市市民活動総合センター設立までの流れ


5 行政改革と市民参加推進

 市民活動支援センター設立のプロセスに影響を及ぼしたもうひとつの流れが、市行政内部の市民参加推進の動きである。

 1996年(平成8年)2月に市長に就任した桝本は、就任後間もなく行政改革や市民参加を検討するためのプロジェクトチームを発足させた。市民参加検討プロジェクトチームと名づけられたこのチームには各部署の中堅、若手が20名ほど集い、 8ヶ月ほどの期間中に40回以上の会議や調査を実施した(京都市[1997c])。しかも、それらのほとんどがこれまでの会議のやり方とはまったく異なるワークショップ形式で行われた。チームをひっぱるメンバーの一部は、それまでに多くの観光客で賑わう嵐山の公衆トイレの改築にあたって、住民や有志の建築専門家などが参加するワークショップ形式でこの計画を進め、このやり方に手ごたえを得ていた8)。そしてプロジェクトチームの報告書では、ワークショップを手法とした市民参加による公共施設づくりが提言され、その具体的モデル事業の1つとしてボランティアセンターの整備計画があげられた。また、そのコアメンバーは景観・まちづくりセンターの計画にも関わり、その中にワークショップルームを設置することを盛り込んだ。

 このプロジェクトチームが終了すると新たに市民参加推進プロジェクトチームがスタートし、4つのテーマに分かれて活動が行われた。その1つが市民活動支援センター整備となった。そして4つのテーマの内この市民活動支援センター整備計画と共同学習提案事業は、プロジェクトチームと同じ総合企画局の中に新たに正式な室として設けられたパートナーシップ推進室によって実現に向けての具体的作業を進められることになった。以後このパートナーシップ推進室が、市民活動総合センターの設立とその後を担当することになった(京都市[2000])。

 要するに、ボランティアセンターやその後の市民活動支援センターの整備計画は、行政改革の1つの方法としての市民参加方式による実践の場でもあったのである。


6 場所をめぐる流れ

 2003年に菊浜小学校跡地に新しく建設された、ひと・まち交流館京都に4つのセンターをはじめとしてまちづくりや福祉に関わるさまざまな施設や団体が収まることになったが、最初からその計画があったわけではない。各施設をめぐる状況やそれに関わる庁内部署、委員会、団体などのそれぞれの事情や対応があってのことであった。

 そもそも菊浜小学校をはじめとする京都市内の小学校の統廃合計画がまずあって、それに伴って跡地の利用方法を検討する審議会が、4つのセンターの計画よりも先に立ち上がっていたのである。京都市都心部小学校跡地活用審議会が設置されたのは1993年(平成5年)で、その前の年には菊浜小学校は廃校となっており、その跡地をどうするかは廃校が検討され始めた時点ですでに課題となっていたわけである。小学校跡地活用審議会はその後も継続されるが、この期では菊浜小学校を含む合計6つの小学校跡地の利用方法が検討された(京都市[1994])。

 一方では、京都市社会福祉協議会も公設のボランティアセンターの必要性を訴えると同時に、自らの新しいオフィスの場所を模索していた。1978年に設立されていた中央老人福祉センターも施設の老朽化が進んでおり、改築するか新しい場所に移転するかが検討されていた。さらに、1997年(平成9年)に京都市が全額出捐して設立された財団法人である京都市景観・まちづくりセンターも、その施設予定地の計画が変更され、新たな場所を模索していた(京都市[1997b])。

 最終的に、廃校となった6つの小学校の跡地は、基本的には既存の建物を活かす形で改修し、新たな利用の道が模索され、幼稚園、幼児教育センター、芸術センター、学校歴史博物館、高齢者総合福祉施設などとして利用されることになった。その中で菊浜小学校跡地だけはそこに新たな建物を建て、福祉やまちづくり関係がまとめられることになったのである。


7 センターの仕様をめぐる調整

 福祉ボランティアセンターとボランティア総合支援センターとに区分けされた後、1998年(平成10年)1月に出された基本構想策定委員会の「京都市ボランティア活動総合支援センター(仮称)の基本構想について(答申)」では、さらに後者については総合支援センターあるいは市民活動センターという名称が提言された(京都市[1998])。

 その後は、新たに設けられたパートナーシップ推進室がその具体的計画策定を担当することになり、1999年(平成11年)9月に市民参加推進懇話会が設置され、2001年(平成11年)3月には「市民参加の推進に関する提言」が出された。それを受けて計画が作られ、2003年(平成15年)8月には市民参加推進条例が施行された。また、センターの仕様を固めるために、2001年(平成13年)7月に市民活動推進協議会が設置された(京都市[2001b])。

 市民活動推進協議会はその年の12月に「市民活動支援センター(仮称)の管理運営方針について」をまとめ、さらに平成15年3月に「京都市市民活動総合センターの管理運営体制等について」をとりまとめた。それは平成15年6月の京都市市民活動総合センター開館のわずか3ヵ月前であった。これらの検討はぎりぎりまで行われたのである。

 公設民営の市民活動支援センターのモデルとなった仙台市のせんだい・みやぎNPOセンターの理事が、偶然に京都市内の大学に赴任してきたのでこの協議会の座長を務めることになった。また、この協議会によって公募の上で管理委託を受けることになったきょうとNPOセンターのリーダーも、仙台市のセンターをすでに視察していた9)。しかし、仙台市のセンターが安易に模倣されたわけではなかった。「管理運営方針」をまとめるために5回のプレワーキング、5回のワーキング、1回のワークショップ、3回の協議会が行われ、さらにその後にも「管理運営体制等」をまとめるために6回の協議会、16回のワーキング等、そして1回のワークショップが行われた。協議会のメンバーにはまだ20代の若者が数名迎えられ、ワークショップを交えて活発な議論が行われた10)

 最終的には仙台方式と呼ばれるような、市民委員を交えた懇話会、検討委員会を経て、市民活動支援団体を中心に公募して管理運営を委託するという形になり、設備などの具体的な仕様も仙台市やもうひとつの先行事例とされていた神奈川県の県民活動サポートセンターを参考にしたものとなったが、はじめからそれらを盲目的に模倣したのではなく、こうした濃密な検討の末のことなのであった。


Ⅳ 考察―理論の検討と応用―

1 ゴミ箱モデルのロジック

 京都市市民活動総合センターの設立は、さまざまな要素とアクターが絡んだ複雑なものであった。センターの名称やコンセプトの変遷そしてそれに関連する事がらを整理したのが図2である。これらの観察から、次の諸点を指摘することができる。

① センターの名称とコンセプトは、実際の設置までに何度か変化した。

② 震災をきっかけにしたボランティアや市民活動の支援センターの必要性の声の高まりに対応して、すでにあった市民創造活動センターの計画が転用された。

③ ボランティアからNPOや市民活動へと社会の注目や認識が変化するのに合わせて、福祉系のボランティアセンターと、市民活動の総合的な支援センターという区分けが行われ、2つのセンターの棲み分けのロジックとなった。

④ 市長をはじめとする庁内における行政改革や市民参加への重視が、センター設立を促すまた別の要因となった。

⑤ 先に存在していた小学校跡地利用の問題が、センター設置場所についての解となった。

⑥ センターの仕様や管理委託をめぐっては膨大な時間をかけた検討がなされた。

 ここでの決定のプロセスは、まず構想が描かれ、次にそれを具体化するための実施計画が立てられ、そしてそれに従って執行がなされるという、いわば経営計画論や経営戦略論が説くような整然としたものではなかった。最初の構想は状況の変化によって別の構想に読み替えられ、さらにそこに別の意図が付け加えられたり、再定義されたりした。また、問題や課題が知覚されて解を探したというよりは、解は別のところで先に存在していた。

 このような現実の決定プロセスの様子を記述するモデルとして代表的なものが、Cohen, March and Olsen[1972=1992]のゴミ箱モデルである。そこでは選択機会、参加者、問題、解はそれぞれ別々に流れており、それらが結びついて1つの決定としてまとまるのは、ほとんど偶然と見なされる。ゴミ箱とは選択機会を見立てたもので、そこに参加者、問題、解が無秩序に投げ込まれる。また、ゴミ箱である選択機会自体もいくつかのものが流れており、あるゴミ箱に投げ込まれた問題や解などが、改めて別のゴミ箱に投げられたりする。そして、決定のスタイルも問題の「解決」だけではなく、問題の「見過ごし」や別の選択機会への「飛ばし」が含まれる。


図2 センター計画の変遷


2 ゴミ箱モデルの限界

 しかし、ゴミ箱モデルは確かに現実の複雑な決定プロセスをよりリアルに記述することはできるものの、Marchら自身が後に指摘するように、一時的調和に焦点を置く還元論となっている11)。つまり、さまざまなアクターや事象が絡み合って全体としての決定や政策が形成されるというロジックは、全体は個別のものの集合であり、したがって全体は個別のものに還元できるというものである。また、それぞれ独立的に流れている選択機会、参加者、問題、解が結びつくのはタイミングの問題、すなわちそれらの要素の同時的存在性によるということは、その決定が外部で独立的に形成される要素に依存するということになる。つまり、組織の政策や意思決定が外的なものに依存するという環境決定論となっているのである。

 さらに、ゴミ箱モデルは外部の観察者からの視点による記述論であり、実践に向けての含意は薄い。この点からゴミ箱モデルの修正を試みたのがKingdon[2011=2017]の政策の窓モデルであり、さらにその改訂を試みたのが小島らの一連の研究である(小島廣光[2003]、小島廣光、平本健太[2011])。これらの研究に共通するアイデアは、諸要素の同時的存在性だけではなく、そのタイミングをとらえて自らの意図に合うように働きかけをするアントレプレナー(あるいはアクティビスト)の役割を組み込もうとする点である。政策の窓が開く時に、自らの意図にとって有利となるように、自らのリソースを投入してアジェンダを押し上げていくキーパーソンが、実際のケースでも観察できるというのである。Kingdon[2011=2017]では、そうしたアントレプレナーの資質などについても論じられている12)

 これは経営学にとっては馴染みやすい議論であろう。しかし、特別な資質を持つアントレプレナーを持ち出してみても、その特別な資質や駆使するリソースは外部において先に保有されていることになっているため、あいかわらず還元論であり、環境決定論なのである。どのようにしてそのアントレプレナーは出現するのか。つまり、ある特定の参加者がいかにしてパワーをはじめとするリソースを獲得し、諸要素を知覚し、それらに働きかけるかが説明されていない。ただそれらのことができるアントレプレナーというものが存在しているということにして、その存在に決定プロセスにおける秩序形成の説明を委ねているのである。そこでは、制度的企業家のアイデアを導入して混乱した社会学的制度理論における「埋め込まれたエージェンシーのパラドクス」と同じ問題が生じている13)


3 構成主義的視角から構造化理論へ

 実際にゴミ箱モデルにもとづいて京都市のセンターのケースの分析を試みようとすると、関係すると思われるアクターや事象を、選択機会、参加者、問題、解に振り分けるのが簡単なことではないことが判明する。

 それはこれらの分析要素が明確に定義されたものではないこと、とりわけどの視点に立つものなのかが不明瞭であることによる。例えば、本ケースの場合では、震災後に急浮上したボランティアセンター計画は、市にとっては新たな課題あるいは問題であったが、以前からボランティアセンターを構想していた社会福祉協議会にとっては選択機会を得た形となった。あるいは、市長交代で宙ぶらりんになっていた市民創造活動センター計画の担当者にとっては、ボランティアセンター計画は新たに登場した解か選択機会となった。逆に、新たなボランティアセンター計画の担当者になった者にとっては、市民創造活動センター構想はすでに存在していた解と見なすことができたのである。

 要するに、ボランティアセンターに対する解釈や意図は、アクターによって異なっていたのである。それぞれのアクターは、自己の中でそれぞれのボランティアセンターを構成していたのである。そのために、ボランティアセンターひとつを取ってみても、それを簡単に選択機会、参加者、問題、解に振り分けることができないのである。これらの要素を振り分けるためには、ゴミ箱のプロセスを観察する者、対象(あるいは目標)とされる事業、そして観察の時期が特定されなければならない。

 さらに重要なことは、このケースにおけるセンターは、それ自体がアクターの活動や選択機会、解との関わり合いの中で名称やコンセプトが何度も変化したことである。つまり、センターに対するアクターの解釈や意図が異なるだけでなく、その対象であるセンター自体がそれらの解釈や意図からの影響を受けて変化し、名称まで変わっていったのである。それぞれの解釈や意図にもとづく各アクターによる活動によってセンターが名称やコンセプトを変化させると、今度は各アクターがその変化したセンターに対する解釈や意図を構成し直す。そしてそれにもとづいて、またセンターに関わる活動を行う、ということが繰り返されていたのである。

 このような視点は、制度とアクターとの関係として社会学的制度理論や、構造とエージェンシー(行為者)との関係としてGiddensの構造化理論で採られるものである。ここでの構造とは、再帰的に組織化される規則と資源、あるいは変換関係の集合と理解される14)。人間の行為にとって外在的な構造が人間の行為を拘束する源泉となるという見方や、逆に構造はさまざまな人間の行為の集合とする見方、あるいは人間の主観が世界を構成するという見方のいずれも採らず、構造と行為者とを継続的な再帰的関係にあるものとして捉えようとする見方である。


4 構造化理論の限界

 社会構造や制度を、構造とエージェンシーとの継続的な再帰的関係から捉える構造化理論は、客観主義と主観主義のどちらにも立たないため、この両者のいずれかに立つ従来の理論の限界を克服するとGiddensは主張する15)。たしかに、何度かの名称やコンセプトの変化を経ながらできたこのセンターの設置プロセスは、アクターの活動とそれを受けて変更されていったセンターの計画との再帰的関係として捉えることができるだろう。

 しかし、構造化理論によってこのケースが十分に説明できるわけではない。このケースに限らず現実の決定プロセスには多様なアクターや要素が関係するが、構造化理論ではそれらをエージェンシーとして一括するか、個々のエージェンシーと構造との個別の関係しか描かない。

 例えばこのケースの場合、阪神・淡路大震災の影響は非常に大きく、また田邊市長の体調不良による市長交代の影響もあった。これらは偶然の要素であり、かつエージェンシー側からの影響は受けていない。構造とエージェンシーとの継続的な再帰的関係を扱う構造化理論では、偶然の要素や予期していなかった要素に影響されるプロセスは対象としない。あくまでも構造あるいは制度とそれと相互作用を繰り返すエージェンシーとの関係で描かれる世界なのである。構造とエージェンシーとのシーケンシャルな相互作用によって全体の変化を説明するということでは、構造化理論はインクリメンタリズムのメカニズムを説明する理論と見ることもできるだろう。

 要するに、経営学において外部環境という言葉で一括されてきた外部の諸要素の中には、エージェンシー(アクター)と相互作用を繰り返すものと、断続的に発生し、エージェンシー(アクター)に対して一方的に影響を与えるものとがあるということである。また、エージェンシー(アクター)は一方的に影響を受けざるを得ない諸要素に対しても、反応すべきものを選択したり、独自のフレームによってそれの意味を解釈したりして、自己にとっての環境を構成するのである。


5 構造化理論の応用

 このケースをより的確に説明するには、センターとアクターとの相互作用に加えて、それらに一方的に影響を与えるイベントや背景の要素を組み込むことが必要である。

 それらのイベント・背景はアクターにとっては外部要素であり、アクターはその影響を受けるが、アクターの側から影響を与えることはない。また、アクターはイベント・背景をそのまま受け取るのではなく、選別したり解釈したりする。さらに、アクターはあらゆる外部要素をもれなく知覚することはできず、知覚すべきものを探索し、選別している。そうしたアクターの活動は、解釈フレームに基づいて行われる。これは外部要素の内の知覚すべきもののレーダーとなり、分析したり解釈すべきものを選別するフィルターとなり、知覚した要素を解釈するデコーダーとなるものである。アクターは、解釈フレームを通じて外部要素を探索、選別、そして解釈しながら行うべき活動を定め、同時に解釈フレームを再構成する。

 アクターの活動によって変化した対象計画は、アクターに解釈フレームを通じて受け取られ、アクターはこの対象計画の変化と次の外部要素とを取り込みながら解釈フレームを再構成し、そしてまたその再構成されたフレームに基づいてまた対象計画に対する活動を行うのである。

 以上のモデルを、このセンター設立プロセスのケースに当てはめて示したのが図3である。アクターである京都市は、「健康都市構想」を柱とした解釈フレームから環境を読み取り、その具体的施策として市民創造活動センターの構想を立てた。しかしその構想は、阪神・淡路大震災という断続的で一方的な外部環境の影響で京都市の解釈フレームが変化し、ボランティアセンターに読み替えられた。このボランティアセンターの計画がある程度公式的なものとして表出されると、それに対する他のアクターなどの反応などが起こり、今度はその公式化された計画がそのアクターにとっての読み取るべき環境となる。その時点での解釈フレームはすでにボランティアセンターに関する状況の変化などによって変化しており、その変化したフレームに基づいて次の計画(ボランティア総合支援センター)が提示される。


図3 構造化理論の応用モデル


 連続的な再帰的関係だけではなく、そこにアクターや計画などからの影響は受けずにそれらに一方的に影響を及ぼす外部要素が断続的に発生するプロセスを組み込んでいるのがこのモデルの特徴である。より厳密には、一方的にアクターに影響を及ぼす外部環境でも、それを知覚するかどうか、どう解釈するかはアクター側の活動となるので、抽象度を高めれば、エージェンシーと構造との構造化プロセスと見なすこともできるかもしれないが、個別のアクターや計画を分析することを目的とする場合には、再帰的関係の認識レベルを中範囲に定め、アクターと相互作用する要素と一方的に影響を及ぼすだけの要素とを区分し、分析することが重要となるだろう。


Ⅴ おわりに

 本稿においては、京都市市民活動総合センターが設立されるまでのプロセスを分析し、それをゴミ箱モデル、構造化理論で説明することの限界を明らかにし、そして構造化理論の応用モデルを提示した。

 もともと構造化理論は、社会構造と行為者との関係を捉えようとする社会学の理論であり、よりマクロ的で抽象的なものであった。しかし、構造とエージェンシーとの関係を説明するロジックは、制度とエージェンシー、制度と組織、事業計画とアクターなどにも適用することができる。実際、社会学的制度理論は制度とエージェンシーによる構造化理論といってもよいだろう。Giddensの構造化理論がマクロな社会を射程にしているものであるのに対して、社会学的制度理論は制度という中範囲のものを射程にしているもので、本稿での分析はそれよりさらに小さな範囲の分析である。これはさらに集団と個人といったミクロモデルにも展開可能だろう。

 しかし、すでに指摘したとおり、二者間での相互作用による変化だけでは現実は十分には説明できず、従来の経営学や組織論が指摘してきた外部要素による影響や、アクター間の相互作用なども組み込まねばならないだろう。本稿においてはその試みのひとつを提示したが、まだ十分なものではない。とりわけ、複数のアクターの存在を記述しながら、それらのアクターのそれぞれの計画との相互作用や、アクター間の関係についてはモデルに組み込めていない。

 しかし、やみくもに要素を加えたり、モデルを複雑化することも望ましいことではないだろう。決定プロセスのケース分析として古典となっているAllison[1971=1977]は、キューバ・ミサイル危機の際のアメリカ政府の意思決定プロセスを、3つの異なるモデルによって記述したが、それはそれら3つのモデルの優劣を論じたのではなく、どの立場あるいは目的から描くかでストーリーの世界観が異なることを示したのである。Bobrow and Dryzek[1987=2000]も、分析の準拠フレームにはさまざまなものがあることを指摘し、それらをどう選択するべきかの視点を提示しようとしている。現実をどれだけうまく記述できるかを問うといっても、うまく記述しているかどうかを判断する基準の中にすでに何らかの目的が前提となっている。その目的を錨として、そこから遠く離れないようにして現実を記述し、理論を構築することが重要だろう。


[謝辞]

 2名の匿名査読者より貴重なコメントをいただいた。記して感謝したい。本研究はJSPS科研費15K11978、16K03833、17K03911、18K01781の助成を受けたものである。


[注]

1)吉田忠彦[2016]においては、このセンターの設立プロセスに関わった京都市の関係者、委員会の関係者、センターの管理運営を担うNPO関係者などへのインタビューやドキュメンツの分析などから、センター設立のプロセスを詳細に記述した。また、そのドラフトは京都市の複数の関係者のチェックを受け、事実関係の確認を行った。なお、筆者はこのセンターの評価委員を務めているが、分析対象の期間には関わっていない。また、委員の立場によって知りえた情報は利用せず、公表されている文書およびインタビューによって得られた情報のみによって記述を行っている。

2)本節の記述については、京都市市民活動総合センターのホームページ、同センターの利用者案内パンフレット、そして同センターおよびひと・まち交流館京都での現地視察に基づいている。

 京都市市民活動総合センターのホームページ

 http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/index.html(2018年3月23日確認)

3)せんだい・みやぎNPOセンター[2004]、9頁。

4)「平成の京づくり」の実施計画の報告(京都市[1996a])の中では、「共に生きる地域社会の形成」(6頁)、「生涯学習の推進」(18頁)において市民創造活動センター創設が挙げられているが、いずれも「基本構想策定調整中」とされている。

5)特定非営利活動促進法の成立プロセスについては、初谷勇[2001]、小島廣光[2003]、谷勝宏[2003]などで詳細に記述、分析されている。

6)1996年の10月にコミュニティ・サポートセンター神戸、11月には大阪NPOセンターと日本NPOセンターが設立され、1997年9月に広島NPOセンター、11月にせんだい・みやぎNPOセンターが設立された。これらの経緯については吉田忠彦[2007]参照のこと。

7)京都市社会福祉協議会は、1989年(平成元年)7月に京都市ボランティア情報センターを設置し、震災のあった1995年(平成7年)から区のボランティアセンター事業を開始した。そして1997年(平成9年)には全区でのボランティアセンターの設置を完了させた。京都市社会福祉協議会[2013]、10-13頁。

8)林 建志氏(京都市文化市民局・地域自治推進室長)へのインタビュー(於:京都市市役所、2014年8月20日)、および林 建志[1998]、56-57頁。

9)新川達郎氏(同志社大学教授、せんだい・みやぎNPOセンター理事)へのインタビュー(於:同志社大学、2002年6月11日)。および、深尾昌峰氏(龍谷大学准教授、当時のきょうとNPOセンター事務局長)へのインタビュー(於:龍谷大学、2014年6月16日)。

10)牧村雅史氏(京都市文化市民局・地域自治推進室・市民活動支援課長)へのインタビュー(於:京都市市民活動総合センター、2014年8月1日)。

11)March, J. G. and Olsen, J. P.[1989], pp.8-9.

 (遠田訳[1994]、12頁)。

12)Kingdon[2011], Ch8, pp.165-195.(笠訳[2017]、第8章、221-260頁)。

13)「埋め込まれたエージェンシーのパラドクス」とは、社会学的制度理論が徐々に経営学的組織論の中に取り込まれていく中で、ひとたび制度化が進めば組織はそれに拘束され、それに適応するしかなくなるという見方が定着していったが、それではその制度が変えられたり、作り出されることが説明できなくなるというパラドクスである。松嶋登、高橋勅徳[2015]、5-29頁。

14)Giddens[1984], p.25.(門田訳[2016]、52頁)。

15)Giddens[1984], Introduction, xiii-xxxvii.(門田訳[2016]、序章、1-26頁)。

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論稿提出:平成29年12月29日

加筆修正:平成30年 6月14日





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