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関西学院大学教授 岡本仁宏
キーワード:
市民社会 非営利法人 NPO SNS 世紀転換期非営利法人制度改革
要 旨:
世紀転換期非営利法人制度改革の次に来るべき21世紀非営利法人制度改革の課題を明らかにするためには、非営利組織の歴史社会的な状況の確認が必要である。本稿は、市民社会論の視角からこの確認を行う。まず、市民社会とは何かについて、実証的・叙述的把握と規範的把握とを確認し、この規範内容が強制力から自由な平等な市民による社会であることを示す。さらに市民社会の、組織と象徴との二領域把握を示す。その上で、今なぜ市民社会論かについて、H・ミンツバーグによるネオリベラリズム批判と長期的な近代史的視点からの確認を行い、国家及び営利組織に対する非営利組織の持つ重要性を強調する。次に、現在の IT革命に伴う社会変容のもとで新しい非営利組織・公論領域の可能性について、Facebook グループの事例をもとに検討する。来るべき改革において、市民社会の人類史的な方向性を 確認しつつ、新しい社会変容への創造的適応を行うべきことを主張する。
構 成:
I 問題提起:私たちはどこにいるのだろうか?
II 市民社会論の視角から
III 巨大な社会変容のなかで
IV むすび
Abstract
In order to clarify the challenges of 21st century non-profit corporate system reform that follows the non-profit corporate system reform at the turn of the century, it is necessary to understand the historical and social significance of the non-profit sector. We considered this situation from the perspective of civil society theory. First, we confirm empirical and descriptive understanding, and normative understanding of what civil society is, and that the content of this norm is a society of equal citizens free from coercive force. We argue that civil society consists of two spheres, of symbols and of organizations. To understand the importance of non-profit organizations to the state and for-profit organizations, especially now, we consider H. Mintzberg’s criticism of neoliberalism and lessons from a long-term modern historical perspective. We then examine the possibility of new non-profit organizations using the Internet under the significant social transformation caused by the current IT revolution based on the case of the author’s Facebook group. In the coming reforms of the non-profit corporation system, it is necessary to recognize the direction of civil society in human history and the importance of creative adaptation to the new social transformation.
Ⅰ 問題提起:私たちはどこにいるのだろうか?
「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」(ポール・ゴーギャン、1897- 98)という問いは、非営利法人研究に携わる我々にとっても、重要である。もちろん、神ならぬ我々に、歴史の深奥の秘密を開示することが不可能であることは重々承知である。そのうえで、一つの試論として、我々の現在を位置づけてみたい、というのが、本稿の目的である。
このような問題関心は、基本的に、二つの焦点から形成されている。
1 「世紀転換期非営利法人制度改革」ののち、 「21世紀非営利法人制度改革」を展望するために
第一は、「世紀転換期非営利法人制度改革」 ののちに、「21世紀非営利法人制度改革」を展望するとすれば、それはどのような性格を持つ べきものなのか、という問いである。我々は、すでにいくつかの小論においてこの問題提起を行ってきた1)。煩をいとわず、この点を確認しておこう。
日本の非営利法人制度は三つの変革期を経てきて現在に至った。
第一に、明治期法人制度創出期である。1987 年(明治29年)交付、89年(同31年施行)の民法によって、第33条で法人格付与の立法主義が確認され、第34条で非営利の法人格として、財団法人及び社団法人の制度が作られさらに一連の監督規定が施行された。
ただし、非営利法人制度にとって最重要領域の一つである、宗教関係については、同法施行と同時に民法施行法第28条によって「民法中法人ニ閃スル規定ハ当分ノ内神社寺院嗣字亙ヒ仏堂ニハ之ヲ適用セス」とされて除外された。
第二に、敗戦期から戦後体制樹立期である。敗戦直後には、ポツダム勅令の一つである宗教法人令(1945年)によって、宗教団体令によって上記の宗教団体法が排除されることが、この口火を切ることになった。さらに、民法特別法 によって、一連の特定領域の法人制度が作られていく。すなわち、私立学校法(1947年)による学校法人、医療法(1949年)による医療法人、 社会福祉事業法(1951年)による社会福祉法人、さらに宗教法人法(1951年)による宗教法人等である。
新しい憲法体制のもとで、第89条の「公の支配に属さない」団体への公金支出禁止規定や同条及び第20条の政教分離及び信教の自由規定、 第25条生存権規定、第23条の学問の自由、26条の教育権規定などの影響もあり、法人制度全般において、戦後体制が形作られた。ただし、明治民法の非営利法人制度自体は維持されたままであった。
第三に、世紀転換期である。1996年の宗教法人法改正を先駆としつつ、決定的な変換が1998 年の特定非営利活動促進法による特定非営利活動法人の導入、さらに中間法人法、そして「110 年ぶりの大改革」と言われた公益法人制度改革三法の制定及び民法改正、および関連法改正は決定的変換であった。この時期には、社会福祉法人制度、学校法人制度、医療法人制度の改正も行われており、単に財団法人・社団法人制度のみならず、主要な非営利法人制度全体への大きな改革が行われた。
これらの諸改革期それぞれの意義については、本稿で繰り返す必要はないであろう。しかし、これら三つの時期の巨大な改革を経て、我々は、どのような場におり、さらにもしこれら改革の成果と課題を踏まえて、新たに21世紀非営利法人制度改革を展望するとき、我々はどのような現状認識と方向感覚をもって、進むべきであろうか。
2 市民社会論の視角から
もちろん、この問題に立ち向かうときに、世紀転換期非営利法人制度改革の総括を行い、そこから「残された課題」を引き出すことが必要である。例えば、日本の戦後の公益法人制度に特有な縦割り型法人制度の問題の克服も、検討課題の一つであり得る2)。監督制度の改革や、 残された法人格についての改革、さらに非営利公益団体への社会的信用性や財務力の向上も重要課題であろう。公益法人や非営利組織が直面する具体的な課題を解決するために、次の改革を構想することは重要である。
しかし、あえて、我々は、より広い国際的な視野、およびより広い歴史的な視野から、問題を位置づけたい。つまり、非営利組織やその研究において、どのような俯瞰的構図のもとに改革課題を導き出すべきか、という点を考えたい のである。上述の日本における法人制度の歴史を見ても、明治維新、敗戦、そして新しい情報 通信革命による地球的規模での変容への組み込み等、国際的な文脈の影響は明らかである。そこで、筆者の専門性からも3)、主に、西洋政治 思想史の文脈の中で、我々がどのような位置に あるのかを確認することにしたい。
鍵となる言葉は、「市民社会(civil society)」 である。以下本稿では、市民社会論の視角からどのように現在を位置づけることができるかに ついて、節を改めて議論していくことにしよう。
Ⅱ 市民社会論の視角から
1 市民社会の把握
⑴ 実証的把握のこころみ
市民社会を把握するためには、明確に概念を定義すること、そしてその概念に基づいて実体がどのようになっているかを把握することが必要である。
概念史は、思想史の特有の学問領域として研究蓄積がある。西洋政治思想史における市民社会概念についての歴史については、我々は別稿ですでに検討したことを踏まえ4)、次節において瞥見する。論の進行上、次節を先回りすることになるが、本節では、上述拙稿において「現代的な市民社会概念」として提示した概念を前提として、論を進めることとしよう。すなわち、 それは、営利セクターと政府セクターとに対するものとしての、非営利セクター、サードセクターなどと呼ばれている領域である。
この把握は、実証的な国際比較研究として 1990年代から行われてきた主要な非営利組織調査の対象と一致している。いくつかの事例を確認しよう。 例えば、国際的なNGO組織や活動家による連合体であるCIVICUS(https://www.civicus.org/) は、持続的に市民社会の状態を把握する努力を 行ってきた。それは、New Civic Atlas(1997) から始まり、civil society index(2000-2010)/ State of Civil Society Report(2014-2020)へと 展開している。非営利組織の把握としては、 index事業の方に重点があったが、費用や発展途上国でのデータの限界からこのプロジェクトは終了した。しかし、Helmut Anheier, Director of the Centre for Civil Society at the London School of Economics(LSE), Hauser Center for Nonprofit Organizations at Harvard Universityとも共同し、UNDPなどの資金を得て実施されたこの事業は、市民社会領域を把握するという点で、重要な成果を残している5)。
また、もちろん、Lester M. SalamonらのGlobal Civil Societyプロジェクト6)は、学会においてもスタンダードな把握として、その調査対象の枠組みが多くの教科書などでも利用されてきていることは、周知のところであろう。また、London School of Economics and Political Science のGlobal Civil Society Yearbook(2001-2012) の取り組みも重要である。
これらの取り組みは、非営利組織の比較研究、 特に社会的な重要性についての研究として発展させられたと同時に、市民社会論として、自由な市民活動の領域を総体として把握し、その状態を権威主義国家による抑圧との関係において 測定し確保しようとする社会運動としても展開した。
このうち、非営利組織論に限って言えば、現在でも、例えばイギリスの非営利公益組織の中央組織であるNCVO(National Council for Voluntary Organisations)によるUK Civil Society Al-manac 2021の内容や日本でのいくつかの研究書においても、継続した非営利組織の包括的把握の努力が行われている。ここで「包括的」と いうのは、特定の法人格を対象とするのではなく、一つの社会における非営利組織を総体として把握する努力が進展しているということである。UK Civil Society Almanac 2021では、 税制優遇を受ける非営利公益団体に対する独立規制機関であるチャリティコミッションによるデータをベースとしつつも、それのみならず、 広範囲な団体のデータを用いつつ、全体としての非営利公益団体の領域を把握しようとしている8)。例えば、組織類型についていえば、表1のような団体を把握しようとする努力が見られる。これらのほかにも生活時間統計などによるボランティア活動の把握を含め、非営利社会活動の領域を、ボランタリーセクターとして照らし出そうとしている。
日本では、セクター団体が総括的な非営利組織領域の研究に踏み出すには至っていない。しかし、すでに研究としては、セクター全体を把握するための努力が始まっている。例えば、経済産業研究所の後房雄を代表とした研究プロジェクトによる一連のサードセクター調査9)がある。筆者も参加したこの調査事業の成果は、 総計19本のRIETIディスカッション・ペーパー と、それらの一部をもとにした後房雄・坂本治也編『現代日本の市民社会:サードセクター調査による実証分析』法律文化社、2019年、が出版されている。
この研究では、表2に示されているように、 宗教法人は含まれていないが、協同組合や同労組合から、一般社団法人・一般財団法人、公益社団法人・公益財団法人や特定非営利活動法人、 さらに学校法人・社会福祉法人、さらには医療法人関係に至るまで総括的な「サードセクター」 を対象としている。
表1 団体数
出典:UK Civil Society Almanac 2021
以上のように、営利セクターと政府セクターに対する非営利セクターを全体として把握しようとする試みは、90年代以後、着々と展開している。
⑵ 市民社会とは
① 一般的な用法から:3セクター論:叙述的・ 規範的用法
このような実証把握の背景にあるのは、最初に述べたように、営利セクターと政府セクター との対比において、社会を三つのセクターとし てとらえる3セクター論である(図1)。あるいは、社会福祉領域では有名なペストフの福祉 トライアングルを用いれば、国家(公共機関) と市場(民間企業)とに対比されるコミュニティ(世帯・家族等)、を除いた領域としてのボランタリーな非営利組織の領域・アソシエーションの領域である10)。
このような把握は、基本的には現代社会の領域を区分して非営利組織の活動する社会領域を際立たせようとするものである。この領域の把握は、叙述的意味、つまりこの社会領域を記述するための概念である。
他方、日本の多くの中間支援組織などの設立趣意書等には、単に市民社会を叙述的に表現するのではなく、むしろあるべき社会像を示すものとしての規範的な概念が見られる。この点については、すでに別稿で、事例を含めて確認したところであるが11)、一部の事例を挙げれば、 例えば下記のようなものがある。
わたしたちが目標としている社会は、多様性と個人の自律性のある市民社会です。公 正で透明な開かれた市民社会です(日本NPOセンター設立趣旨)
日本NPOセンターは、新しい市民社会の実現に寄与することを理念とし、分野や地 域を越えた民間非営利組織(NPO)の活動基盤の強化と、それらと企業および政府地方公共団体とのパートナーシップの確立を図ることを目的とする(日本NPOセンター定款)
誰もが住み良い豊かな社会の実現のために、 市民自身の手による新しい社会のしくみ創りをめざし、起業型エヌピーオーの育成・ 発展にとりくむことを中心としつつ、エヌピーオー活動のさらなる推進を図り、市民社会の醸成に寄与すること(わかやまNPOセンター) 私たちが望む社会は、力あるものを中心とした社会ではなく、生活者の価値と発想を 基盤とした、多様性と個人の自律性のある市民社会であり、参加と協働の道が人々に 開かれた公正で透明な社会です。…新しい市民社会づくり(せんだい・みやぎNPOセンター)
これらの概念の用法は、まさに現代日本において確認できるものである。
表2 後・坂本編2019における対象団体
*C列の合計値は、端数のため、12,500とならない
出典:後・坂本編2019、16頁。
図1 社会の3セクター構成図
② 規範内容としての平等性:暴力と貨幣のコントロール
このような内容は、現代日本においてのみならず、西洋政治思想史における市民社会概念の深い伝統と共通する内容がある。したがって、 単に一時的な流行のようなものではない。
古代ギリシャにおいて、都市共同体の外部に ある暴力の世界に対比された文明化された社会としてのポリス以来、延々と、例えば、ジョン・ ロックの『統治二論』におけるcivilsocietyやcivilgovernmentに、さらにA・ファーガソン からF・ヘーゲルに至るまで、西洋政治思想史の中で継承されてきた理念と連続性がある12)。 その内容は、第一には、平等な市民がおりなす自発的社会・政治秩序として、権力関係や上下関係を排除する、第二に、暴力的・あるいは強制的な抑圧や紛争解決を排除する、ことである。 後者は、暗殺前に犬養毅が言ったとされるよう に、「問答無用」ではなく「話せばわかる」社会関係の維持である。そこでは、civility(礼儀でありかつ市民性)が通用し、紛争や問題の、主に言語による解決が可能である。
そして、この実現のために、第一に、社会から暴力を排除し、国家機構に独占させつつそれをコントロールするという手法が生み出された13)。そして、第二に、市場における交換関係のような本来的対等性も、貨幣所有量による強制性を持つようになることが認識されるにしたがって、飽くことなき貨幣追及の傾向性、つまり貨幣の物神性への警戒とそこからの離脱の社会的制度化が模索されてきた14)。
以上のような市民社会の叙述的・価値的概念は、もちろん実証研究においては、相互に明確に区別される必要があるが、概念の内包・外延を議論する際には、不可欠な相補性を持つ。つまり、一定の価値的理念を前提としつつ、その実体的表現として叙述的な概念の範囲が切り取られるのである。
③ 市民社会論の二つの対象:組織と象徴
このような歴史的遺産を継承する現代市民社会概念は、その主要な内容として、先に述べた3セクター論として、特にNPO論、非営利組織論の文脈においては重要である。しかし、念のために付言すれば、現代市民社会論の対象は、 二つの領域を区別する必要がある。すなわち、 その一つは、上記の組織論的把握であるが、他方、コミュニケーション論や象徴論の文脈での把握も重要であって見逃すことはできない。かつて政治学者の石田雄は、現代政治分析において、「組織と象徴」という枠組みを用いている。 この把握も、市民社会の二領域把握と共通する15)。
実際、現代市民社会論の古典として頻繁に上 げられるJ・ハーバーマスの『公共性の構造転換』16)は、公共性(Öffentlichkeit、公共圏、public sphere)に関する研究であり、公論=世論(public opinion)の世界がどのように変容してきたかに関する歴史研究である17)。この文脈で、I・カ ントは、「『啓蒙とは何か』の中で理性使用を「私的使用」と「公共的使用」に区別し、前者を国家制度の論理と分析し、後者を市民の論理と位置づけた上で、後者によって前者を「批判」して制度を改革してゆくプロセスを「啓蒙」と呼んだ18)。ここでの公論における理性使用の空間こそが、ハーバーマスが公共圏としてその歴史的分析の対象としたものである。市民社会論は、この伝統を継承するコミュニケーション論・メディア論関係での論説も多く、非営利組織論との間で十分な交流がないままになっている。
これら二つの概念領域、つまり、組織と象徴、 集団と公論の二つの領域については、実は、古典的にも重要な社会領域であるとされていたことを確認できる。
例えば、皮肉にも、絶対王政や主権の理論家として不動の地位をしめるホッブズは、コモンウェルス=国家=リヴァイアサンの重要な内部的敵対者たる「腸虫」「蛔虫」として、「組合」 や「都市」、「争論する自由」を挙げる19)。反対に、トクヴィルは市民社会論の古典として名高い 『アメリカの民主主義』において、「新聞と結社ASSOCIATIONS」を枢要な問題として論ずる20)。
現代においても、この二領域を市民社会の基本的構造把握として確認することは決定的に重要だろう。
2 なぜ今市民社会なのか?
ところで、非営利組織論を含む市民社会論は、なぜ我々の現在地を把握するために重要なのか、その点について、ここでは二つの視点から、 確認しておきたい。一つは、ミンツバーグの指摘であり、もう一つは、より長期的な歴史的把握としての重要性である。
⑴ Henry Mintzbergの問題提起
H・ミンツバーグは、1939年生れ、カナダのマギル大学クレグホーン寄付講座教授である。 経営思想界のアカデミー賞と言われる“Thinkers 50”(世界で最も影響力のある経営思想家)で3人目となる「生涯功績賞」(Lifetime Achievement Award)を受賞し、Harvard Business Reviewで2回にわたってマッキンゼー論文賞を 受賞するという輝かしい経歴を持っている。
日本では、彼のビジネススクール批判やマネ ジメント論は有名だが、その彼が、非営利セクターに対する重要な擁護論を展開していることは、それほど知られていないようである21)。
彼も、3セクター論を展開する。政府セクター、私的セクター、多元セクター(plural sector)の3セクター論である。彼によれば、「多元セクターを構成するのは、政府や投資家によって所有されていないすべての団体である。 そのなかには、メンバーによって所有されている団体もあれば、誰によっても所有されていな い団体もある。協同組合、NGO(NPO)(財団、 クラブ、シンクタンク、運動型NGO、事業型NGO等)、 労働組合、宗教団体、大学や病院等。社会運動 や社会事業のような正式の組織体ではないものもある」、という。つまり、多元セクターとは、非営利組織はもちろん、ヨーロッパ型のサードセクターに入れられるすべての組織が入ること になる。
彼によれば、冷戦体制の崩壊以後、資本主義が勝利したとして、「市場が国家をできるだけ排除することがよい、という思想」、いわゆる ネオリベラリズムの主張が展開した。しかし、 「政府に不信感を持つことと、バランスの取れた社会を築くために必要な政府の役割を否定することの間には、決定的な違いがある」。「今日のアメリカでは、社会主義(socialism)が忌み嫌われる言葉になったことで、あたかも社会的な(social)もの全般が悪であるかのような印象が生まれている」。それによって、「えげつない」 (crass)企業社会が跋扈し、外部性を無視した経営によって社会全体のバランスが大きく崩れているとする。「経済学理論の二つの大きな礎石---コストを負担できるなら、なんでも消費してよいという考え方と、外部性の害を他人に押し付けても良いという考え方---の下の地中で、 実際に何が起きているのかを直視した方がよい」。「そもそも資本主義とは、私たちにモノと サービスを提供するための民間企業の設立と資金調達を可能にする仕組みを表現する言葉だった。それがどうして人間が目指すべき最大の目的であるかのように考えられるようになったのか」、「資本主義は私たちに奉仕するために考案されたものだったはずだ。それなのに、どうし て多くの人が資本主義に奉仕する羽目になって いるのか」と問いかけるのである。彼の批判は辛辣である。
この状況に対する彼の対案は、「政府セクター、私的セクター、多元セクター」のバラン スを取り戻すこと、である。三つのセクターは、 政府セクターは「融通が利かない」(crude)であり、私的セクターは「えげつない」、そして 多元セクターは「閉ざされている」(closed)傾向があるとし、このバランスの回復こそが対案 となる22)。「多元セクター」は、政府セクターの市民性(citizenship)、私的セクターの所有性 (ownership)に対して、communityshipを規範として持っている。コミュニティ性を担う多元 セクターは、他のセクターにも重要な影響を与 えるべきだと彼は主張する23)。多元セクターを 構成する、所有者がいない、あるいはメンバー によって所有されている団体は、私有財産に基づく社会から、「シェアエコノミーや共有財産、 無所有の領域の開拓(NPOは、典型的)」へ進むための重要な役割を担うことが期待されるのである。
このように、ミンツバーグは、現代資本主義 に対する厳しい批判を行い、そのうえで、政府と並んで、あるいはそれ以上に、「多元セクター」 (本稿で言えば、サードセクター、非営利セクター、 あるいは市民社会セクター)の役割を強調するのである。
市民社会セクターの重要性が、指導的な経営学者から、冷戦後のネオリベラリズムに対して明確に主張されていることに注目すべきだろう。
⑵ より長期の視点から
もう少し長期の観点から、市民社会セクターの意義を考えたい。
現在、我々の社会は、経済も政治も芸術も宗教も、その他、それぞれの多様な社会領域も、 独自の領域として機能分化し、それぞれの組織が担い、固有の実践・価値領域を形成している。 しかし、このような社会の機能分化は、近代社会の形成期以前では、十分には展開することは なかった。むしろ、政治権力を持つものは、経済的に富を持ち、宗教的・倫理的に高貴であり、 美しい生活を体現する存在であった。国王や貴族などの身分制度の上位に立つものは、これらすべてを一体的に所有し、他方、下位に位置づけられるものは、全社会的共同体組織のなかで、 あらゆる価値において低位に位置づけられる存在であった。
現在は、市場は独自の運動法則を持ち、政治や倫理と原則的に独立の領域であると考えられている。しかし、かつて福沢諭吉がその自伝の中で嘆いたように24)江戸時代には、経済とは、 経世済民、つまり「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」25)であって。経済領域が独自の運動法則を持つことを前提としておらず、倫理や政治と切り離せず、幕府の政治的支配のもとに服するべきものであった。近代における社会領域の分化は、このような政治的・倫理的支配からの解放という点でも、それぞれの領域における更なる分化・分業の進行による巨大な生産力の解放という点でも、また、人間の自由の獲得という点でも、大きな社会的進歩であったことは明らかである。
しかし、現状においては、人々の共同・協働の営みである社会から生み出され、豊かさを実現するために役立つ道具としての企業メカニズムは、ミンツバーグが言うように巨大な支配的力を持つようになっている。他方では、ミンツバーグの議論では、アメリカでの政府の役割の衰退が注目されているとはいえ、世界的に見れ ば、抑圧的な政府権力による非民主主義的支配の克服も重要な課題であることも明らかであろ う26)。
本来、政府自体も、近代における中心的正統性は、社会契約論的構成に基づく。例えば、日本国憲法においてもその論理が採られているように、人民が、自らの自然権を社会契約論的に政府に「信託」27)するのである。つまり、この意味では、人々に固有に属するもの(固有権 property)、つまりは人身の自由や私有財産を守るための道具として、政府が建てられているとされている。
つまり、株式会社制度にせよ、主権国家制度にせよ、人々の協働の一環であるものが道具的に相対的に自立している領域として作られたメカニズムである。しかし、それぞれの機能を担っていた道具としての組織体が、その存在自体を目的としてかつ社会的な物質性を備えた存在として実体化して、それらを生み出した人々に対してしばしば抑圧的なものとして立ち現れている。このようなメカニズムを、哲学ではしばしば「疎外」という言葉で表現する。つまり、自らが生み出したものが、実体化し自らを抑圧するものになってしまう、というメカニズムである。 宗教も宗教における神も、何らかの意味で人間が生み出したものであるが、それはいつの間にか人間を抑圧する存在として立ち現れることが ある。同様のメカニズムを、我々は、政府や市場や企業においても見ることができるだろう。
もしそうであれば、非営利セクターの正当性 論も異なった根拠が可能であろう。つまり、人々の基本的な原型としての協働の姿をもっともよく表現している市民社会セクターは、しばしば企業ができない、政府ができないものを担う存在として否定的に位置づけられる。しかし、むしろ人間の基本的な協働である市民社会セクターが生み出した、国家と企業という二つの道具を、使える範囲において、我々市民社会が使っているに過ぎないと理解することもできる。
以上、ミンツバーグ、及びより長期の近代以後の歴史過程における市民社会概念の意義について言及した。このような市民社会の歴史的役 割を踏まえ、21世紀において、非営利法人制度改革はどのようであるべきかが今一度考察されるべきであろう。
他方、現在我々は、巨大な社会変容のただなかにある。この社会変容の動向を確認しておくことが、改革課題の探索のためには必要である。この点を次節において、見てみることにしたい。
Ⅲ 巨大な社会変容のなかで
1 グーテンベルクの銀河系」から「チューリングの宇宙」へ
周知のように、現在、インターネット技術や AI技術の革命的進化によって、我々の社会には、巨大な変容がもたらされている。この変容 は、グーテンベルク革命以来のチューリング革命とでも言ってよいものである28)。グーテンベルク革命、つまり活版印刷技術がもたらした社会変容の巨大さを歴史的に振り返ると、聖書の 出版、宗教改革、近代官僚制の成立、読書大衆の出現、新聞や政治パンフレットなどの公論社会の形成、市民革命など、つまりは近代社会をもたらしたあらゆる社会変容と関係を持っている29)。我々が直面し現在立ち会っているのは、 その水準の変容であって、近世社会に生きた人々がその行く末を予想できなかったように、 我々もこの変容の帰結を見通すことは不可能な水準での変容であろう。決して単に情報収集や 伝達の道具が便利になる、というようなことではない。人間の「知」の形、人間の社会の形、 否、あえて言えば人間そのものが大きく変容する現場に立ち会っているといってよい。M/・ マクルーハンも言うように、メディアを使うこ とによって、思わぬ形で人間自体が変容していくのである。この変容は、あまりの奥深さに、 言葉を失う水準と言ってもよいだろう。
このことを前提にして、我々の歴史から引き継がれた市民社会のコンセプトをどのように継承し発展させていくのか、を意識したい。もちろん、「社会」30)や人間そのものの姿形が変容するのであれば、非営利組織はもちろん、組織そのものも変容していかざるを得ない。当然、我々の学会で対象とする非営利組織の変容の行く末についても、容易に見通すことはできない。
したがって、第一に、観察することで、端緒的動向を把握することと、第二に、変わらないものへの視点をもつこと、第三に、我々が、どのような新しい世界を形成するかという主体的視点を持つこと、が求められるのではないか。 本稿では、このうち第二の点について、「市民社会」というコンセプトの継承と維持・発展の重要性について、強調してきたところである。
2 社会的孤立と人のつながりの新しい形態
このような認識にたって、非営利組織の動向を見れば、非常に多様な変容やそれに対する社会的実験が行われていることが分かる。クラウドファンディングの利用やSNSの利用による組織化や広報、さらにzoomやYouTubeなどのメディアツールを使った働き方、教育やアソシエーションの持ち方なども広がっている。
本稿では、一つの些細な事例ではあるが、筆者が創設し現在も運営に携わっているFacebookグループについて、ごく簡単に言及してみたい。
⑴ 「新型コロナのインパクトを受け、大学教員は何をすべきか、何をしたいかについて知恵と情報を共有するグループ」https://www.facebook.com/groups/146940180042907
本グループは、2020年3月30日にFacebook上での呼びかけから始まった。最初の呼びかけは次のようなものである。
3月30日 グループ立ち上げ グループ情報 「新型コロナウイルス感染症で、大学の休講・休校が続いています。この状況への対処について、ボヤキや情報、取り組み、ノウハウ、大学ごとの違いなどを共有するためのグループです。大学教員中心ですが、 職員や学生の方、さらには大学教育に関心 を持つあらゆる方々を歓迎いたします。」
その後、2020年9月22日にグループの趣旨目的を以下のように改訂し、現在に至っている。
新型コロナウイルス感染症は、大学の授業 やその他業務に大きな困難をもたらしまし た。さらにこの事態が大学に引き起こす中 長期的な影響も見過ごせません。その対応 のために、所属や専門を越えて、ボヤキや情報、取り組み、ノウハウ、経験などの知 を共有するためのグループです。大学教員中心ですが、職員や学生の方、さらには大 学教育に関心を持つあらゆる方々を歓迎いたします。
2021年11月24日前の参加者メンバーの推移 は、図2に示される。現状で、2万500人のメンバー数、アクティブメンバー数(投稿・閲覧 などの総数)が1日約5,000人前後の規模である。 日本語であるが、58か国からの参加者がある。 類型投稿数は7,471、コメントが55,539、リアクションが597,404にのぼる。「日本で初めての分野領域を超える大学教員コミュニティ」とも称されるグループとなった。
このグループで議論されてきたことの中心は、遠隔授業を余儀なくされた教員の情報交換 である。授業でのzoomやgoogleアプリ、Microsoftアプリ、カメラ、音響機器、などの使い 方についての情報、応答性の増大や成績評価などの授業方法が活発に意見交換された。また、 感染防止策、学生生活支援、入試、研究環境、大学の情報環境インフラやセキュリティや、内外の大学や大学政策の動向、さらには、9月入学問題、学術会議問題のような研究者・研究者コミュニティと政府行政の関係にわたる問題、それぞれの大学での大学運営・授業運営に関するイベント情報などの投稿もある。
現状では、投稿数は、かなり少なくなっている。当初の遠隔授業に直面した時期の活発な情報交換などの必要性は減少している。ただし、 基礎的な使い方をクリアしたうえでの授業方法についての投稿は持続している。また、学校法人のガバナンス改革問題など大学政策に関する情報も提供されている。
このグループの機能は、表3に示すように多様である。特に、単に技術的な情報交換だけでなく、状況の共有や共感の場として機能したことが、孤独な状況の中で遠隔授業を準備し取り組んだ大学教員にとって、バーチャルな連帯性を作り上げたことが重要である。知識が豊富なものが一方的に教えるというわけでなく、同じ悩みを抱えたものが、ある方法を試してうまくいったり失敗したりしたことを報告しあう場であったことが、共感を生み出したように思われる。
メンバーには会費はなく自由参加であるが、 友人による紹介以外は、参加承認を必要とした。 スパム投稿や目的と関係のないセールス投稿、 特定の政治信条からの攻撃的投稿や、新型コロナウイルスに関するフェイク情報の投稿、さらに感情的で攻撃的な投稿、個人や学生情報の開示につながるような投稿については、管理者側で注意喚起や削除、メンバーの参加規制を行うことが必要であった。
そこで、ボランティア運営メンバーを募り、 20人弱のモデレータグループを形成し、持続的にグループの状況を把握し対応するようにした。遠隔のみのグループであることから、海外からのモデレータ参加を含めて、すべて遠隔での事業となった。
参加申請の承認や、問題のある投稿について の参加者からの報告への対処などが、日常的には重要である。しかし、特に医学的・疫学的な知識が必要な、ワクチン接種関係や感染の危険性、感染予防方法についての議論などはエキサイトすることもあり、問題解決については、小さいとはいえ、2万人を超える参加者にとっての公論の場を維持するために慎重で丁寧な対応が必要であった。このような場合、モデレータ での議論は、深慮を得るための熟議の場として大変重要である。もちろん、グループの運営は、 NPO論における知見に基づいて、特定のミッションを持った参加型NPOとしての位置づけを前提として行った。
図2 グループメンバー推移
表3 グループの機能
⑵ この実践の社会的意味:本稿の文脈において
このような場の機能、社会的意味、そして可能性については、多様な引き出し方が可能である。すでに本グループの実践については、『アエラ』や『論座』31)、『毎日新聞』などのメディアや、大学コンソーシアム京都第26回FDフォー ラムや日本図書館協会大学図書館部会大学図書館シンポジウムなどの大学教育関係での紹介が行われてきた。さらに、日本キャリア教育学会、 質的心理学会、日本心理学会32)など、研究集会での報告や情報掲載論文が学会誌にアップされるなど、複数の文脈で注目がなされている。紙幅の都合上、これらについて詳しく触れること はできない。そこで、本稿の文脈上、一点に絞って社会的意義について、触れておきたい。
すなわち、市民社会におけるSNSの可能性についてである。
① 市民社会の基盤としての小公論の場による重層的公論の形成
周知のように、多くのSNS空間に関する危惧が発信されている。最近では、インスタグラムについての若い世代についての悪影響がメディアを騒がしており、その規制が取りざたされている。しかし、以前から、①公論において、 SNSが、echo chamber効果、蛸壺化等と表現されるように、社会的・政治的分断を促進する、 ②怒りや情動的な表現が早急に伝わり、ヘイトスピーチが蔓延する、③フェイク情報の拡散の場として、不正確な流言飛語をばら撒く場となる、④特にそれが政治利用をされる場合、外国からの干渉、カスタマイズされた特定顧客への情報の意図的な操作が行われる、⑤多様なネッ ト空間での活動を集めることによる個人のプライバシーの侵害や人格の操作などの危険がある、などという点がこれまで指摘されてきている。つまり、否定的情報には事欠かない。これらは、すべて深刻かつ重要な問題である。
しかし、これらの議論が重要であるのは、逆に非常に便利で生活に欠かせないメディアとして、SNSが存在していることを示している。我々の時代の公論は、SNSなくしては成り立たない。 そして、危険性の指摘と同様、その可能性をいかに発掘し引き出し発展させていくか、という点での議論も重要である。
A・トクヴィルやJ・デューイからR・パット ナムまで、民主主義の基盤として結社や集団の必要性に着目した論者には事欠かない。我々が先に見た市民社会論の二つの領域、つまり結社領域と言説・公論領域とを併せ考えれば、マスメディアのような公論領域の健全な発展のためには、相対的に小さな、NPOのように特定目的を持った多数の公論の広場が存在することの意義がもっと注目されていい。つまり、大きな 規模の民主主義の維持発展のために、小規模の自発的結社が重要であるように、大規模な公論や世論を健全に維持発展させるためには、小規模な公論の場が必要なのである。それは地域メディアでもあるし、ミニコミや、会員制組織の ニューズレター等でもよいが単に、執行部や編集部の見解が伝えられるだけでなく、市民がその場において公論の場を作る可能性が開かれるべきであろう。このツールとして、SNSは非常に有用なものである。
マスメディアによって作られてきた「公論」 は、市民自らによる発信と相互討論などの言説からなる多様な広場の形成を含みこんだ、重層的な公論空間になっていく必要がある。SNSにおいては、LINEグループ、Facebookグループ、 Twitterフォロワーグループのような多様な公論の場が、いかに育まれていくかが重要である。 当然、「メディアリテラシー」の教育は、従来のメディアの受診者としてのメディア情報への警戒と読み解きに重点を置いた教育ばかりではなく、「発信者」としての市民の役割を踏まえた議論が意識的になされる必要がある。地球規模でのネット発信の無制限性の前に怯むことのないように、様々な基盤となる多様なグループ での議論や情報交換、情動的な共感の交流等によるリテラシーの涵養が重要だろう。
このような場の実験場の一つとして、上記のグループの実践は一つの意味を持ちえたのではないか。
② SNSの特性としてのフロー性と、アーカ イブ化への連携
ところで、SNSでの公論についての特性は踏まえておく必要がある。
同時進行的に起こる混乱・困惑や、新しい世界の驚きや発見の共有は、知の創造にとって不可欠である。また、ともに問題に関与し苦闘するものの間での共感、つまり“愚痴”やしんどい出来事の発露と寄り添い、よい経験や獲得した知恵や努力への賞賛などは、不可欠なものである。公論は、単に無機質な情報交換ではなくて、苦しみや叫び、喜びや怒りの表現のコンタクトの場でもあるからである。
このようにSNS情報は、基本的には情報が流れていく場である。このことは、その限界にもなる。検索機能を用いたりすることによって、流れていった情報をログから引き出すことが可能であるとしても、典型的に言えば図書館やアーカイブのように整理されて見出しがつけられ、保存され蓄積されていくことは前提とされていない。本グループにおいても、7千以上の投稿と5千以上の5万5千以上のコメントがあるが、これらについて、投稿トピックやタグ付け機能による整理の手がかりを用いているとはいえ、決して体系的に知識を得るためには便利とは言えない。効率的に素早く知識を得るためには体系的整理と教育とが有利であるが、記録から情報を体系化・組織化するためには独自のインフラや工夫が必要である。この点では、上記Facebookグループの技術基盤の限界があったといえよう。つまり、知が流れていくのである。
適切な投稿情報の分類やそれらのアーカイブ的整理は、知のフローに対するストックとして 別の媒体によって担われる必要がある。共時的に知を交流し、体系化以前の知や経験を交流する場としてのSNSに対して、通時的に知を蓄積し、分類体系化して提供する機能としてのアーカイブが必要なのである。つまり、データベー スや図書館の機能である33)。典型的には、 Wikipediaのようなネットでの知のアーカイブ化があるし、岡本真氏のwikiのプラットフォー ムを使ったsaveMLAKプロジェクトのような図書館などの公共施設支援に関するネット上での情報交換と情報蓄積、さらに同氏のARGのような、アーカイブとしての図書と市民参加との架橋の試みなどの事例もある34)。上記のFB グループではその点での連携は非常に不十分であった。しかし、視野を広げれば、多様な形で、知のフローとストックとが、相互にネットコミュニケーションやデータベースによって繋がれていきつつある。
今後どのような可能性が開かれていくかは、 定かではない。他にも、SNSのような緩いコミュニケーションネットワークが、固い結社的・組織的結合とどのような関係を持つのか、融合し組織変容を招く可能性も含めて今後の可能性も注視していく必要があるだろう。SNSの可能性 は、新しい市民社会のインフラとしてまだ開拓され尽くしてはおらず、弊害の是正のための制度整備と同時に新しい可能性の探求が求められるところである。以上、一つの事例からの考察に過ぎないところであるが、手掛かりを得るための素材として提供したい。
本節では、現在の非営利組織の新しい情報環境の中での展開の一つの試みを紹介し、その意義と特性について考察した。
IV むすび
21世紀非営利法人制度改革は、時代の変容に合わせて行われる必要がある。
しかし、本稿では、あえて、非営利組織の現在を、歴史的な市民社会論の視点からの位置づけを行い、さらに「チューリング革命」とでもいえる現代の巨大な社会変容のなかで、我々が非営利組織の変容に備えるべきこと、さらにその展開の可能性について示唆した。 もちろん、具体的な法人制度の改革提案につなげるためには、法人制度論としての具体的な展開が必要なことは当然である。しかし、同時 に、制度運用における具体的な問題点のインクレメンタルな改革の検討においても、大きな視点での方向性についての感覚を持つことは不可欠であるように思われる。
非営利組織が、市民社会の歴史的概念遺産を継承し、平等かつ暴力と貨幣による強制性を排除した自由な社会領域を担う存在として、市民の自己表現を進め、政府や企業の道具性を明示できるような枢要な存在となることができるだろうか。新しく展開している巨大な社会変容に対して、ネットでの情報コミュニケーションを 基盤とした新しい非営利組織の形態に、非営利組織・法人は対応できるのだろうか。これらの課題を意識化すると、我々は、市民社会論の歴史的概念遺産を、新しい社会変容に展開すべき接点・に立っているのではないか、という仮説も許容されるのではないか。本稿を、一つの問 題提起的試論として受け止めていただければ幸いである。
付記:なお、本稿のもととなった報告機会を アレンジし、当日の司会をしていただき、従来非営利法人研究学会では異質の報告を許容してくださった、柴健次先生に、また当日の会において報告をともにし、かつ議論に参加された会員諸氏に深く感謝するところである。(2021年12 月17日脱稿)
[注]
1)岡本仁宏「『21世紀非営利法人制度改革』の ために」『公益法人』公益法人協会、2021年 2月21日号、同「NPOの20年、未完の世紀 転換期非営利法人制度改革と学会の課題」 『ニ ュ ー ズ レ タ ー』71、 日本NPO学会、 2019年9月3日、同「公益法人制度改革は何をもたらしたか:『世紀転換期非営利法人制 度改革』という視点から」『公益・一般法人』977、2018年12月1日、16-23頁。また、岡本仁宏編著『市民社会セクターの可能性: 110年ぶりの大改革の成果と課題』関西学院 大学出版会、2015年、における公益法人制度 改革の位置づけさらに、岡本仁宏「法制度」 「宗教」坂本治也編『市民社会論』法律文化 社、2017所収、の整理も参照されたい。
2)この点については、前掲岡本編『市民社会セクターの可能性』を参照。
3)筆者は、NPO/NGO論とともに、西洋政治思想史を専門領域としている。
4)「市民社会」古賀啓太編『政治概念の歴史的展開』第1巻、晃洋書房、2004。
5)Wolfgang Dörner and Regina A. List(eds), Civil Society, Conflict and Violence: Insights from the CIVICUS Civil Society Index Proj︲ ect (CIVICUS Global Study of Civil Society Series), Bloomsbury Academic, 2012 2021 年11月7日確認。
6)Lester M. Salamon, S. and Wojciech Sokolowski(eds), Global Civil Society: Dimensions of the Nonprofit Sector, Johns Hopkins Univ Inst for Policy, 1999
7) 2021年11月7日確認。
8)データについては、下記から入手可能。 https://beta.ncvo.org.uk/documents/117/uk_civil_society_almanac_2021_data_tables. xlsx なお、このリンクが張られているのは下記である。 https://beta.ncvo.org.uk/ncvo-publications/ uk-civil-society-almanac-2021/about/how-toget-more-almanac-data/
9)「官民関係の自由主義的改革とサードセクターの再構築に関する調査研究」(2015年5月18日〜 2018年3月31日)、「官民関係の自由主義的改革 とサードセクターの再構築に関する調査研究」(2013年11月5日〜2015年3月31日)、「日本におけるサードセクターの経営実態と公共サービ ス改革に関する調査研究」(2011年8月30日〜 2013年3月31日)、「日本におけるサードセクター の全体像とその経営実態に関する調査研究」 (2010年5月24日〜2011年3月31日)。に一覧がある(2021年12月11日確認)。それぞれの調査研究のリンク先には総計19本の RIETIディスカッション・ペーパー掲載されている。
10)V・ペストフ、藤田暁男他訳『福祉社会と市民民主主義―協同組合と社会的企業の役割』 日本経済新聞社、2000。
11)岡本仁宏「市民社会におけるNPOの位置」『季刊家計経済研究』2004 WINTER No.61、公 益財団法人家計経済研究所、特に、14-16頁。
12)前掲「市民社会」は、この西洋政治思想史に おける展開を追ったものである。ロック的な近代市民社会論の文脈では、市民社会概念には統治権力の組織が含まれるのだが、専制政府は、市民政府(civil government)でも市民社会(civil society)でもありえないとされる (219頁)。
13)岡本仁宏「市民社会論と主権国家:暴力のコントロール」『法と政治』61⑴、関西学院大学法政学会、2010年7月。
14)実は鋳造貨幣が発明された古代以来受け継が れてきている。岡本仁宏「序章 政治主体に ついての仮説的整理」岡本仁宏編著『新しい 政治主体像を求めて―市民社会・ナショナリ ズム・グローバリズム』紀伊国屋書房、 2014:Richard Seaford, Money and the Greek Mind: Homer, Philosophy, Tragedy, Cambridge University Press, 2004を参照。 なお、もちろん、アリストテレスにおける貨幣及び蓄財術への批判はよく知られている (『政治学』第1巻9章荒木勝訳『岡山大学法学会 雑誌』第50巻第2号(2001年3月)384-387頁)。
15)石田雄『現代政治の組織と象徴―戦後史への政治学的接近』みすず書房、1978年。
16)細谷貞雄・山田正行訳『公共性の構造転換 ――市民社会の一カテゴリーについての探 究』未來社、1973年〔新版〕未來社、1994。 周知のように、第二版の序文(1990年)にお いて、市民社会概念について、マルクス的なブルジョワ社会(bürgerliche Gesellschaft)概 念からの拡張を行っている。
17)より広い「世論」に関する概念史研究として、 岡本仁宏「世論(輿論・公論)」『政治概念の 歴史的展開――概念史から見た政治思想史第 6巻』晃洋書房、2013。
18)加藤泰史「思想の言葉:公共と批判」『思想』 岩波書店、2019年3月号。もちろん、I・カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3 編』光文社古典新訳文庫、2006。
19)「《ある都市が大き過ぎず、組合corporations が多過ぎること》コモン-ウェルスの、もう 一つの弱点は、一都市の不適当な大きさであって、それがそれ自身の範囲から、一大軍隊の成員と費用とを供給しうる場合である。 組合が非常に多いこともそうであって、それらはいわば、大きなコモン-ウェルスの腹の なかの、多くの小コモン-ウェルスであり、 自然人の内臓のなかの腸虫のようなものである」。/「《主権的権力に対して争論する自由》 それに付け加えうることは、政治的深慮(ポ リティカル・プルーデンス)をもつと称する人びとが、絶対権力に対して争論する自由であ る。それは大部分、人民のくずのなかでそだてられるのではあるが、しかも虚偽の学説によって活気づけられるのであり、つねに諸基本法に干渉してコモン-ウェルスの妨げと なっているのである。それは、医師が蛔虫とよぶ腸虫に似ている」(トマス・ホッブズ、水田洋訳『リヴァイアサン(一)』岩波文庫、第2巻 254頁)。
20)「政党が勝利ために用いる二つの大きな武器は、新聞と結社ASSOCIATIONSである。」 第1巻(下)21頁/「民主的な国民にあっては、 市民は誰もが独立し、同時に無力である。一人ではほとんどなにをなす力もなく、誰一人として仲間を強制して自分に協力させることはできそうにない。彼らはだから、自由に助け合う術を学ばぬ限り、誰もが無力に陥る。…日常生活の中で結社を作る習慣を獲得 しないとすれば、文明それ自体が危機に瀕する。私人が単独で大事をなす力を失って、共同でこれを行う能力を身につけないような人民は、やがて野蛮に戻るであろう。」第2巻 (上)190-1頁/「民主的諸国において、 結社の学は母なる学である。他のあらゆる学の進歩はその進歩に依存している。/人間社 会を律する法の中で、他のあらゆる法以上に厳密で明確に思われる一つの法がある。人々 が文明状態にとどまり、あるいは文明に達するためには、境遇の平等の増大に応じて、結 社を結ぶ技術が発展し、完成されねばならな い。」同195頁/「結社と新聞の間にはだから ある必然的連関が存在する。すなわち、新聞は結社をつくり、結社がまた新聞をつくるの である。」同198頁 アレクシス・ドトクヴィル(Alexis de Tocqueville、1805-1859)、松本礼二訳『アメリカ のデモクラシー』1下、岩波文庫、2005、同 2上、2008。
21)以下の議論は、ヘンリー・ミンツバーグ『私たちはどこまで資本主義に従うのか』ダイヤ モ ン ド 社、2015(Henry Mintzberg, Rebalanc︲ ing Society: Radical Renewal Beyond Left, Right, and Center, Berrett-Koehler Publishers, 2015)、 に基づく。他に彼のウェブサイトhttps:// mintzberg.org/やMintzberg, Henry. “Time for the plural sector“, Stanford Social Inno︲ vation Review, Summer 2015を参照。
22)非営利組織の研究において、パットナムも、ソーシャルキャピタル論における(bridging に対する)bondingな類型への両義的な評価を行っていることは周知のところである。しか し、ミンツバーグの議論では、bridgingな非 営利組織への評価は十分にされていないように見える。強固で拘束性の強い近代以前の共同体の伝統が希薄なアメリカにおける議論の一般的特性を反映していると言えるだろう。
23)「【インタビュー】コミュニティシップ:社会を変える第3の力:マネジメントの危機を超えて」『DIAMOND ハーバード・ビジネス・ レビュー』ダイヤモンド社、2013年7月号。
24)福澤諭吉『新訂 福翁自伝』岩波文庫、1978。
25)『広辞苑』第6版、岩波書店、2008。
26)例えば、定評ある分類であるEIUの2020年版 インデックスによれば、民主主義体制として は、「欠陥のある民主主義体制」を含めても、 44.9%の国々である。つまり、過半数の国は、 権威主義な体制である。Economist Intelligence Unit(EIU), Democracy Index 2020, The Economist Intelligence Unit Limited. (https://www.eiu.com/n/campaigns/democracyindex-2020/)2021年12月12日確認。
27)この政府に対する市民の「信託」という論理 は、周知のようにロックの『市民政府二論』 において展開されたものである。日本国憲法前文、「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。
28)和久井孝太郎「Web2.0時代のコミュニケー ションとWebブランデング戦略そして未来~ 『グーテンベルグの銀河系』から『チューリン グの宇宙』へ~」(報告書)(https://www.jagat. or.jp/past_archives/story/10948.html)2021年9月 5日確認。
29)この時期の社会変容については、西洋史全般に及ぶが、J・ハーバーマス、細谷貞雄。山田正行訳『公共性の構造転換』未來社、第2版、1994、と、マーシャル・マクルーハン森常治訳『グーテンベルクの銀河系――活字人 間の形成』(みすず書房、1986)だけを挙げておこう。また、現在の人間の変容については、 ユヴァル・ノア・ハラリの一連の著作、特に、 『ホモ・デウス』『21レッスンズ』等のほかに、 メアリアン・ウルフ、太田直子訳『デジタル で読む脳×紙の本で読む脳:「深い読み」が できるバイリテラシー脳を育てる』インターシフト、2020、ジェイミー バートレット、 秋山勝訳『操られる民主主義:デジタル・ テクノロジーはいかにして社会を破壊する か』草思社、2018などが参考になる。
30)「社会」“society”という観念(言葉)、あるいは日本語での「社会」という言葉自体が歴史的な形成物である。それは、それ以前の「社会」において、その実体的存在性が希薄だったことを意味している。
31)例えば、樫村愛子「コロナ禍の大学、教員コミュニティが映す現実:Facebookに2万人、 オンラインの情報と知恵を共有」『論座』 2020年06月30日(https://webronza.asahi.com/ national/articles/2020062500006.html)2021年12 月11日確認。
32)小澤伊久美、蒲生諒太、話題提供、カルダー 淑子、原田奈穂子、岡本仁宏、平川秀幸「オンラインで広がる現場と私たちのアクチュア リティ―新しい時代の公共圏をつくるコミュニケーション―」日本質的心理学会第18回大会、2021年10月24日、岡本仁宏「市民社会論研究者としての研究・研究指導と実践」日本キャリア教育学会近畿地区部会第1回研究会、 2021年8月1日(及び『日本キャリア教育学会 ニューズレター2021年度・春号』2021年4月30日) 日本キャリア教育学会情報委員会(http:// jssce.wdc-jp.com/wp-content/uploads/2021spring. pdf)2021年12月11日確認。三田地真実「コロ ナ禍での心理学者の果たすべき役割とは何 か?」『心理学研究』公益社団法人日本心理学 会、2021/11/30(https://doi.org/10.4992/ jjpsy.92.20406)2021年12月11日確認。
33)この文脈での報告、「Facebookグループによる2万人を超える大学教員の相互協力交流の広場から」2020年度大学図書館シンポジウム 「オンライン授業における図書館の役割」報告(日本図書館協会大学図書館部会、国公私立大 学図書館協力委員会、国立大学図書館協会東京地 区共催)、2021年1月22日、記録として、『大 学図書館研究』118号(2021.8)、2117-1- 7頁。
34)Wikipediaは、アメリカ連邦所得税法501⒞⑶ 団体であるWikimedia Foundation, Inc.によっ て運営されている。その運営については、重 要な批判があるがここでは取り上げない。 (https://savemlak.jp/)2021年12月11日確認。
(論稿提出:2021年12月17日)
追記:ウクライナに対するロシアの侵略戦争の勃発は、国家による暴力がいかに市民の生活を破壊するかを赤裸々に示している。ロシア国内における「公論の自由」の領域が、今回の事態の勃発のはるか以前から暗殺や法的抑圧にさらされていたこと、さらにNGOに対して規制法が施行され「組織活動の自由」の領域も抑圧されていたこと、が注意されるべきである。戦争勃発後に、ロシアではさらなる抑圧が強化されたことも報道されている。権威主義的な国家の暴力に対して、市民社会の抑制が死活的に重要であることを改めて示した。 非営利組織、とりわけ公益的な非営利組織が 自由にそれぞれのミッションを目指して活動すること、そのための市民社会領域(civil sphere, civic space)が維持されることは、インターネット空間の出現による新しい状況のもとでも、一層擁護され獲得されなければいけないことを示したともいえる。非営利法人研究学会の営みも、このような「市民社会」という歴史的プロジェクトの重要な一環を占めている。
(2022年4月18日)
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