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非営利法人制度をめぐる諸活動とそのロジック / 吉田忠彦(近畿大学教授)

更新日:6月11日

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近畿大学教授  吉田忠彦


キーワード:

非営利法人制度 公益法人改革 社会学的制度理論 構造化理論


要 旨:

 日本の非営利法人制度は、公益法人制度を出発点とし、そこから分化した法人、さらに は異なる文脈からNPO法人や中間法人などが生まれ、そして民法の改定と新しい法律の制 定を伴った改革を経て、なおその全体像を模索している。こうした制度の変化に関わるア クターは多様であり、時代によって、所属する世界によって、非営利法人制度に対する解 釈やロジックが異なっている。それらを時代の流れの中で整理しながら、その分析視角と して社会学的制度理論の可能性を示した。


構 成:

I  はじめに

II 非営利の諸法人の分化と展開

III 公益法人制度の整備と再編

IV 行政改革と公益法人

Ⅴ 公益法人制度改革とNPO法人

Ⅵ 非営利法人制度をめぐる諸活動、 アクター、ロジック


Abstract

 In Japan, the legal framework of nonprofit corporation started as the Public Interest Corporation and the framework branched into several types such as the Private Educational Institution, the Religious Corporation, Specified Nonprofit Corporation and the Intermediate Corporation. The movement of the reform of the legal framework of nonprofit corporation is still ongoing, even now. There were various actors in the movement and each actor has each interpretation and logic of the nonprofit corporation. The purpose of this paper is to describe how the legal framework of nonprofit corporation has been constructed from the perspective of the sociological institutional theory.


 

Ⅰ はじめに

 近年、非営利法人制度をめぐって歴史的ともいえる大きな変化が続いた。特定非営利活動法人という新しい法人が生まれ、20年足らずの間に5 万を超える数となった。その後に中間法人も生まれたが、わずか 7 年ほどで姿を消してしまった。そして、110年ぶりとなる公益法人制度改革があって、一般法人が生まれた。公益認定という仕組みも生まれた。

 しかし、「非営利法人制度」というひとつの制度が人びとの頭の中にイメージされ、それが追求されるという流れがあるとするならば、それをめぐる変化はなお続き、そしてそれらの変化もまた大きなものとなる可能性がある。なぜなら、この20年ばかりの間のいくつもの大きな変化にもかかわらず、「非営利法人制度」としては、なお未完と見られるからである。

 しかし、本稿の目的は、未完の「非営利法人制度」がどうあるべきなのかを主張することではなく、そうした制度をめぐる活動の分析の視点を提示することである。  

 制度をめぐる活動に参加するのは特定のアクターに限られないこと、またそのアクターのより具体的な担当者もまた特定個人に限られないこと、そして同じ制度をめぐる活動も、それぞれのアクターによってその解釈や意図が異なるため、たとえば政府といった、ある特定のアクターの論理だけで全体としての「非営利法人制度」が整備されていくのではないという分析視角を提示する。


Ⅱ 非営利の諸法人の分化と展開

 法に規定される「非営利法人」という法人は存在しない。民間で、営利を主目的としない団体を対象とするいくつかの法人格を総称して 「非営利法人」という言葉が用いられる。具体的には、一般法人法による一般社団法人、一般財団法人、それらのうち公益認定を受けた公益社団法人、公益財団法人、そしてかつての民法34条の特別法による学校法人、宗教法人、社会福祉法人、更生保護法人、特定非営利活動法人などを指す。また、本稿においては、これまで の経緯をたどりながら制度の変化や形成を分析するので、旧公益法人(社団法人、財団法人)や 中間法人なども含めて議論する。

 これらの法人は、民法が公布された1896年 (明治29年)以降の110年あまりの歴史の中で、 それぞれの事情から生まれたり、姿を変えたり消したりして現在の状態になっている。  

 公益法人からいくつかの法人制度が分化したことや、公益法人自体の制度も改革されたことから、それらの全体としてのあり方を論じたり、 統合的な法人制度の可能性を論じる機会が増え、 「非営利法人制度」という言葉が用いられるようになったのである。  

 学校法人(昭和24年 私立学校法)、宗教法人 (昭和26年 宗教法人法)、社会福祉法人(昭和26年 社会福祉事業法)、そして更生保護法人(平成7年更生保護事業法)に至る4つの法人については、いずれも民法34条の特別法によるもので、 それらはあくまで民法34条が示す範囲のものであり、そこから分化していったものとみなすこ とができるだろう。そこでは、法人成りは主務官庁の許認可制で、設立後も主務官庁の指導・ 監督を受ける。そして、それらの法人は公益性 が高いものとみなされ、税法上では「公益法人 等」に一括される。

 これとは異なる流れで生まれたのが、中間法人と特定非営利活動法人である。まず中間法人 (平成13年 中間法人法)は、公益を追求する団体であることを前提に、免税を始めとする税制上の優遇を受ける公益法人の中に、実態として共益型の団体も含まれており、さらにそうした非営利・非公益の団体の受け皿となる法人格が用意されていないことから設けられたものである。 したがって、公益的な分野を列挙した民法34条の枠から外れたカテゴリーであり、民法34条の特別法ではなく、民法の一般法による法人制度になる。そして税法上も公益法人等ではなく、 普通法人である。中間法人は公益法人の分化の 流れにあるものではなく、制度的な穴になって いた非営利・非公益のカテゴリーを埋めるために設けられたものである。したがって、中間法人は公益法人制度の欠陥を補うという意味では重大な意味を持つものであったといえるだろう1)。  

 特定非営利活動法人(平成10年 特定非営利活動促進法)もまた、民法34条の分化の流れとはまた別の意図から設けられたものである。中間法人が民法34条による公益法人を前提にし、その制度上の欠陥を補う形で設けられたものであったのに対して、特定非営利活動法人は、公益法人の否定、あるいはオルタナティブを目指すものであった。公益法人やそれに連なる諸法人の制度は、民の活動に対して官の価値基準で公益を規定し、法人格を付与し、さらにその後も指導・監督を行う。また、それらの法人に対しては、官の活動の一部が委ねられたり、補助金を与えられることもある。他方で、そうした官の基準に合わない団体については、法人格さえ付 与されないという状態があった。こうした官の民に対するパターナリズムに対して、それが本来の民、とりわけ市民活動を歪めたり、抑圧しているという批判の声が、欧米の民間非営利組織の様子が知られるにしたがって高まっていった。そして、官の判断によらない法人の設立を実現するための新たな法律が目論まれたのである。


Ⅲ 公益法人制度の整備と再編

 公益法人制度をめぐる問題点は、民間の法人を営利と非営利とに区分するのではなく、営利と公益に区分したことによって、非営利・非公益型、すなわち共益型の団体を収める法人格を用意しなかったこと、法人成りを許可する主務官庁が多数存在し、それらの間で許可基準にばらつきが生じたこと、法人の許可がそのまま免税資格などの税制優遇につながり、主務官庁間の許可基準のばらつきと相まって、税に関する不公平が見られたことなどであった。  

 公益法人制度を前提としながらも、これらの問題点を是正しようとする一連の努力もなされていた。1971年(昭和46年)には行政管理庁が公益法人の指導監督に関する行政監察結果にもとづいて、公益法人制度改革について勧告を行い、公益法人等監督事務連絡協議会が設置された。その翌年、同協議会によって「公益法人設立許可審査基準等に関する申し合せ」が決定されている。これは主務官庁ごとに公益法人設立 許可の基準にばらつきが生じ、それによって同種の活動を行う団体でも、あるものは公益法人となり免税資格が与えられ、あるものは公益法人の許可がおりず、免税資格も、また法人格さえ得られないという不公平が生じていたこと、また免税などの税制優遇が相応しいとは思えない共益型の団体も公益法人として許可されているという事態が生じていたため、それを是正するために許可基準の統一が図られたものである。

 こうした許可基準の統一を図る申し合せ等は、その後も何度か行われるが、その度ごとに基準は厳格になり、共益型の団体には許可が下りなくなるだけではなく、全般的に許可のハードルが上がっていった。また、休眠法人などが売買され、脱税の手段として悪用されるケースも見られたため、休眠法人の整理にも注意が向けられるようになっていった。  

 昭和60年9月に、総務庁が第2次の「公益法人等の指導監督に関する行政監察」の結果を発表し、法務省に対して中間法人制度の創設を勧告した。これは設立許可をもって免税などの税制優遇の資格が付与されるということから、そうした税制優遇に相応しくない共益型の団体は公益法人には含めないという基準が明確になるにつれて、そうした共益型の団体に対する法人格の必要性も明確になってきたからであった。法務省は総務庁の勧告を受けて、1996年(平成8年)10月に民事局内に「法人制度研究会」を 設置し、中間法人制度の検討を始め、中間まとめやパブリックコメントなどを経て、2001年 (平成13年)6月に中間法人法が成立し、翌年4月より施行された。また、それに先立って、 1998年(平成10年) 3 月に特定非営利活動促進法が成立し、同年12月より施行された。  

 中間法人制度によって、これまで公益法人制度の穴となっていた非営利・非公益型、つまり共益型の団体を収める法人格ができた。そして特定非営利活動法人制度によって、準則主義による法人格取得の道が開かれた。これらによって、民間のさまざまな活動の受け皿としての法人制度としては、とりあえずは整ったのである。

 とはいえ、主務官庁制や税制との不分離などの根本的な課題の解決には至っていなかった。 また、公益法人の中には、共益型のものの他にも、行政と密接な関係を持つものも含まれており、そうした関係の中での不透明な既得権益などについての批判も起こっていた。

 制度の体系、税制との関係、主務官庁制に象徴される官主導の体質、行政との関係など、以前からこれらの問題点を指摘してきた学者たちだけではなく、ジャーナリスト、政治家、市民活動家、そして世間一般からの批判の声も高まっていた。

 このような背景の中、公益法人制度の改革が動き出し、2006年(平成18年)5月に公益法人制度改革関連三法が成立し、公益法人は、一般社団法人、一般財団法人、公益社団法人、公益財団法人に再編され、中間法人は一般法人に吸収される形で消えることになった。


Ⅳ 行政改革と公益法人

 欧米においては、 1979年のイギリスでのサッチャー保守党政権、 1981年のアメリカでのレーガン共和党政権の発足を契機に、後にニュー・ パブリック・マネジメントと呼ばれる一連の大胆な行財政改革が進められた。日本はその時期にはむしろバブル景気に沸いていたが、 1990年代を迎える頃にはバブルははじけ、やはり行財政改革が国の重要な課題となっていた。  

 国債などによる債務はすでに400兆円にまで膨れ上がっており、さらに第二次大戦後の復興やその後の高度経済成長を支えるインフラ整備などのために国が設立してきた公社、公団などのいわゆる特殊法人の中に巨額の赤字を抱えるものがあった。とりわけ日本道路公団は、バブル崩壊後にはその赤字が20兆円を超えており、なおそれが膨らむことが予測されていた。

 もちろん、国の公企業が生み出す巨額の負債が問題となったのはこの時が初めてではなく、1983年(昭和58年)には第一次行革審が設置され、三公社といわれた電電公社、国鉄、専売公社が次々に民営化されていった。しかし、その頃は国鉄の巨額の赤字が深刻で、それを中心とした三公社が問題として認識され、特殊法人や財政投融資、さらにそれを支える郵貯や簡保の問題は一般的にはあまり知られていなかった。 しかし、国鉄を分割民営化してもなお国の赤字が増え続け、さらにバブルがはじけたことで、 抜本的な行財政改革が国の最重要課題と見なされるようになったのである。

 とりわけ、1996年(平成8年)1月に発足し た第一次橋本龍太郎内閣では、自民、社会、さきがけの連立与党内に行政改革プロジェクト チームが立ち上げられ、同年11月の第二次橋本内閣では行政改革会議が設置された。そこでは、 中央省庁再編などの大胆な改革の計画が打ち出された。後に橋本龍太郎は、森喜朗内閣の下で行政改革担当大臣としてそれらの計画を実行していった。

 また、この行政改革会議が動き出したのと同じ時期に、後に東京都知事となる猪瀬直樹が、月刊雑誌に日本道路公団などの特殊法人やそれに連なる公益法人、そしてそれを支える財政投融資などについて、その実態をレポートする記事を連載し、世間の注目を浴びた2)。さらに、これに触発された同種の記事やテレビのドキュメント番組なども続いた3)。 そこでは、公益法人は特殊法人や認可法人などの政府系の諸法人と連なるものと認識され、民間の公益活動を担う法人という本来の姿よりも、天下りや渡りなどの受け皿か既得権益の隠れ蓑のような存在として扱われ、抜本的改革の必要性が叫ばれていた。  

 公益法人の中に実態として様々なタイプのものが存在していることは、早くから指摘されていた。とりわけ、森泉章による「典型的公益法人」、「特別法型公益法人」、「親睦団体型公益法人」、「行政補完型公益法人」、「業者団体型公益法人」の5つの類型化は、その後の議論にも影響を与えた。その後、行政と密着な関係を持つ公益法人は「行政委託型公益法人」と呼ばれるようになり、こうした公益法人に対する行政の関与のあり方を検討することが計画され、2001 年(平成13年)1月に内閣官房内に設置された 行政改革推進事務局の中に行政委託型公益法人等改革推進室が設けられた。

 ところが、この行政委託型公益法人等改革推進室は、その初代室長となった小山裕自身が述べているように、公益法人制度の改革をミッションとしたものではなく、「公益法人に対する行政の関与の在り方の改革」、すなわち特定の公益法人に補助金や委託等・推薦等を行う行政の側の改革が目標だった4)。ジャーナリストやメディアの指摘、そしてそれを受けての世論が、特殊法人や公益法人の抜本的な改革を叫んでいるにもかかわらず、行政の側では、行政改革推進事務局という部署においてすら、それは一部の公益法人と、それと密接な関係を持つ行政の関係の持ち方の問題としてしか認識されていなかったのである。

 たしかに、いくつかの悪質なケースの実態を詳細に調べあげ、「公益というタテマエで税金を支払わないまま、ビルを建て、政治家に献金 し、大量の内部留保を有している社団・財団法人は、犯罪の温床でもある」5)と、それが公益法人全体の姿であるかのように叫ぶ猪瀬の議論は乱暴といわねばならないが、橋本龍太郎や小泉純一郎などの政治家や、メディア、そして世間一般の中では、着実にそうした公益法人に対するイメージが普及し、それらの抜本的改革を望む声が高まっていたのである。

 その後、この行政委託型公益法人等改革推進 室は、公益法人制度そのものの改革に着手することになる。しかし、公益法人制度の問題点はもうそれまでに何度も指摘され6)、時には悪しざまに書き立てられ、しかも改革推進室が設置される前年には、KSD事件(財団法人中小企業経営者福祉事業団を舞台にした汚職事件)まで発生しており、改革の必要性も自明になっていたように見えるが、行政内ではそうではなかったのである。小山はこの改革推進室が公益法人制度改革に取り組むようになった様子を次のように 述べている7)

 「改革の芽は、公益法人室に突如降りかかっ た『国所管の公益法人の総点検』という特命事項の遂行過程で、室メンバーの心の中に生まれたものである。そして、その小さな一歩が、実現不可能とすら言われた民法の改正と新たな公益法人制度の転換(主務官庁による設立許可制から準則主義への転換、法人格取得と公益性認定の切り離しが基本的な変更点である。)に結実した」。  

 世間では遅きに失した感さえあった公益法人制度改革も、国の行政の内部にいた小山たちにとっては、公益法人制度改革の芽は自分たちの心の中に生まれたもので、「官の世界では『ドン・キホーテ』としか考えられない、ある意味無謀な真似」8)だったのである。おそらくその気持ちに偽りはなく、小山の目には公益法人改革の流れはそう映っていたのであろう。


Ⅴ 公益法人制度改革とNPO法人

 「官の世界では『ドン・キホーテ』としか考えられない、ある意味無謀な真似」だった公益法人改革は、「主務官庁による設立許可制から準則主義への転換、法人格取得と公益性認定の切り離しが基本的な変更点」だった。つまり、小山たちの中では非営利法人制度ではなく、あくまでも公益法人制度の改革なのであった。

 この改革推進室はその後、2001年(平成13年)3月「行政委託型公益法人等改革の視点と課題」を公表するだけでなく、同時に国所管の公益法人の点検結果も公表し、さらに同年7月には「行政委託型公益法人等改革を具体化するための方針」、「公益法人制度についての問題意識 ~抜本的改革に向けて~」を出し、徐々に公益法人制度全体の改革の必要性を訴えていくようになる。

 そして、2002年(平成14年)3月の「公益法人抜本的改革に向けた取り組みについて」が閣議決定され、その中ではっきりと関連制度を含め抜本的かつ体系的な見直しをするとして、その先頭にNPO法人が掲げられた。さらに同年8月の論点整理では、「現行のNPO法は民法の特別法としても独特の存在であるので、新たな基本的制度の中に発展的に解消される可能性が高いと考えられる」という見通しが示された。 つまり、単なる理念というのではなく、かなり具体的な計画として、関連制度も含めた非営利法人制度の整備として改革が進められたのである。

 しかし、「公益法人制度について、関連制度 (NPO、中間法人、公益信託、税制等)を含め抜本的かつ体系的な見直しを行う」という目論見ははずれることになる。要するに、法人制度で見れば、公益法人と中間法人のみを新たな法人制度に入れて再編するという結果に終わったので ある。

 このように、「抜本的かつ体系的な法人制度の見直し」としての改革が不発となった最大のポイントは、特定非営利活動法人との統合の失敗だった。それまで日本の非営利法人制度は、 公益法人をひとつの基準として、その分化と再編が行われてきた。しかし、特定非営利活動促進法(NPO法)は、それまでの民と官との関係をめぐる考え方が根本的に異なっていた。 NPO法成立に深く関わった山岡義典は、NPO 立法関係者と公益法人関係者との関係について、 次のように述べている9)。  

 「お互い無関心だったという感じはありますね。というかNPO立法側から言えば、当時の公益法人制度に対するアンチテーゼでもありましたから」。

 NPO法成立をめぐっては、さまざまな市民活動団体、政治家などが関わった10)。そして議員立法により成立したその法律は、「公益法人制度に対するアンチテーゼ」であり、そこで形成された運動力はNPO法成立後も持続し、認定NPO法人の基準の緩和などの成果を導いた。 そして公益法人制度改革の議論が本格化した際には、NPO法人制度がそこに統合されることに反対し、それを阻止することに成功したのである。こうした運動力としては、具体的には、 「シーズ・市民活動を支える制度をつくる会」 がNPO法成立に向けての活動、その後のNPO 法人に対する税制の見直しに向けての活動の中で培ったロビイング力、全国各地にできていた NPOサポート組織やそれらのネットワークが あった11)。さわやか福祉財団の堀田力が、政府税制調査会の非営利法人課税ワーキング・グループにおける非営利法人への原則課税の原案に反発したことを発端に、それが市民活動団体全体に広がっていった形だが、その根底には従来の公益法人に対するアンチテーゼとしてのNPO法人の側の意識があったのである。それは次の山岡の言葉に端的に表れている12)。  

 「NPO法の側としては、自分たちで作った制度を、行政改革として悪者を排除するために作った制度に合わせる必要は毛頭ないというのはね、これはかなり多くの人の、立法に関わった人たちの意識としてはあると思います」。


Ⅵ  非営利法人制度をめぐる諸活動、 アクター、ロジック

 これまで確認したように、この30年ばかりの間、「非営利法人制度」をめぐって、民法の改定や新しい法律の制定などを含むさまざまな改革があった。そして、そうした改革を導いたさまざまな活動、それを行ったアクター、そしてそれらのアクターごとのロジックがあった。それらは、およそ以下の4つのタイプに分けることができるだろう。

 ①  従来の公益法人制度を前提として、その制度の問題点を修正しようとする立場。

 ② 非営利法人制度の体系化を目指す立場。  

 ③  市民活動を支える制度を作ろうとする立場。  

 ④  行政改革の立場から公益法人制度を改革することを目指す立場。

 こうした観察から次のことがらが確認できる。 第一に、複数の立場があったということである。 これらのいずれの立場も、基本的に公益法人制度を改革するという方向をめざしていたが、そこには温度差や目指す方向の違いが見られた。  

 第二に、そこでは法人法、税制、会計などが定められ、運用されている現行の公益法人等の制度を核としながらも、そうした既存の制度それ自体ではなく、その将来的なあるべき姿がイメージされ、論じられていたということである。  

 第三に、同じ公益法人等の制度を論じていながら、それを見る視点、論理が異なっているということである。

 そして第四に、公益法人制度を論じながら、 実際にはそれと関連する別の制度との組み合わせで論じられており、その組み合わせがそれぞれで異なっているということである。たとえば、公益法人制度と特別法法人や中間法人との組み 合わせの場合や、公益法人制度とNPOとの組み合わせ、ないしは対比の場合や、特殊法人と公益法人との組み合わせの場合などである。  

 制度をめぐる多様なアクターの活動とそのプロセスを分析する研究として代表的なのがゴミ缶モデルである(March et al[1976])。そこでは、 ①問題の流れ、②解の流れ、③参加者の流れ、 ④選択機会の流れが、それぞれ独立して流れ、 それらは合流して問題の解決に至る場合もあれば、問題が未解決のままでやり過ごされたり、先送りされることもあるとする。それぞれの要素は、それぞれの流れの中にあるものの、とりあえず選択機会(ゴミ缶)に投げ込まれるのである。

 ゴミ缶モデルでは誰が問題解決にむけて全体の流れをまとめたりするのかが説明できないため、改良されたのが政策の窓モデルである (Kingdon [1994])。①問題の流れ、②政策の流れ、③政治の流れがある時に合流し、政策の窓が開き、その窓が、参加者とりわけ政策企業家によるアジェンダ設定や政策案推進の契機となる。 つまり、ばらばらな流れの中にある諸要素が合流する、つまり窓が開いたチャンスに、政策企業家が自らの意図に合うように、積極的にそれらをまとめ上げるとする。

 さらに、改訂・政策の窓モデル(小島 2003) では、政策の窓モデルに政策形成の「場」を主体的に設定する政策アクティビストの役割が追加される。また、Lober[1997]では協働の窓モデルが提示され、協働企業家が問題の流れ、 解決策の流れ、組織のやる気の流れ、社会・政治・経済の流れの 4 つをまとめ上げるとする。

 これらの一連の研究は、多様なアクターと多様な流れの存在を前提とし、問題の解決は単一のアクター、単一の流れによって決まるわけではないというより現実的な姿を描いている点で評価される。

 しかし、これらの一連のモデルでは、問題、 解、参加者、機会などの流れが、それぞれ別に流れているとしているものの、それぞれのアクターが同じ解釈の制度を舞台にして活動し、同じ解釈の制度を前提にした問題、解、参加者、機会などが想定されている。さらにゴミ缶モデル以降のモデルにおいては、そこに全体の流れをコントロールする企業家やアクティビストの存在が想定されている。  

 非営利法人制度をめぐっては、それをどういう立場で、どう解釈するかはそれぞれのアク ターによって異なっていた。また、時期によって同じアクターでもその解釈や立場が変化した。 法的な規定がないということでは未だに青写真の状態ともいえる非営利法人制度をめぐって、 さまざまなアクターの活動によってその姿が徐々に具体的になったり、あるいはその姿の修正が生じたりした。つまり、ゴミ缶モデルなどが想定するような、すべてのアクターにとって 共通の出来上がっている制度などはないのである。

 それぞれのアクターごとに解釈される制度を論じようとするのが、バーガーとルックマン (Berger=Luckmann[1967])などの社会構成主義 に影響受けた社会学的制度理論13)である。特に組織理論の分野においては、今日最も多くの研究者の関心を集めている。スコット(Scott [1995])、マイヤー=ローワン(Meyer=Rowan [1977])、ディマジオ=パウエル(DiMaggio= Powell[1983])などの初期の研究などから、その後多くの業績が積み上げられている。

 この社会学的制度理論は、これらの組織理論を経由して経営学や会計学などにも導入されていったが、その過程において、関係する諸アクターたちから正当性を認められた1つの制度を前提に論じられたり、あるいはそうした制度化のプロセスが圧力となって同型化が起こると論じられたりと、この理論をミスリードした議論 が多く生まれた14)。これは環境要素の違いによって有効な組織の構造は異なるという、かつての構造的コンティンジェンシー理論と同じ論理であり、環境決定論に陥ってしまっている。もちろん、正当性が認められている(と想定する)制度と、それに関係する組織との関係について分析する研究が否定されるわけではないが、そこでは社会学的制度論が提示したインプリケーションは失われてしまっている。  

 社会学的制度論では、制度というものは所与として存在するのではなく、アクターやアク ターとしての組織が、それぞれが想定する制度に対して活動を行い、それによって自らの制度を再構成するという連続性で捉えられるものとされる。つまり、制度は組織によって構成され、 その構成は再構成され続けると見るのである。 これはギデンズの構造化理論(structuration theory)と同じ論理である(Giddens[1984])。つまり、エージェンシー(行為主体、組織)の構造 (制度)に対する再帰的な活動によって構造が再構成され続けるという、構造とエージェン シーとの一体的な把握である。この捉え方によって環境決定論(構造決定論)と、その反対の行為主体決定論のどちらにも陥らない説明を可能にしようとするのである。

 すべての関係者から同じ姿に映る非営利法人制度など存在しなかったし、その全体像をデザインし、コントロールする単一の企業家やアク ティビストは存在しなかった。非営利法人制度 に関わろうとする関係者の活動が、非営利法人制度の形に影響を与え、その影響を受けた非営利法人制度の姿を関係者は認識し、そしてそれ に対してまた何らかの活動を非営利法人制度に向けて行う。こうした反復的な活動の連続性の 中に非営利法人制度は形を現すのである。


[注]

1)中間法人に関する論考は少ないが、初谷 [2012]ではまとまった整理がなされている。

2)文藝春秋の1996年(平成8年)11月号、12月号、1997年(平成9年)1月号の3回にわた る連載「日本国の研究」。この記事は後に単行本となり、文庫化もされた。さらに、猪瀬 氏の著作選集の第1巻に、「公益法人の研究」 を増補した新篇として納められた。この記事 の反響は大きく、第58回文藝春秋読者賞を受けた他、記事の「コピーが国会内で政党を問 わず回し読みされている」(「文庫版へのあとがき」)という状態だったという。実際、そ の後、郵政三事業や特殊法人の民営化を掲げ て総理になった小泉純一郎の要望で、行政改 革担当大臣の諮問機関として新たに設置され た行革断行評議会の委員となり、その翌年に は道路関係四公団民営化推進委員会の委員に就任した。この委員会が設置されて2年後の 2004年6月に、道路関係四公団民営化関係四法が成立し、日本道路公団等は民営化されることが決まったが、その間には公団が文藝春秋社を提訴したり、委員長はじめ委員7人中5人が途中で辞任、欠席するような状態だった。猪瀬はこれらの様子も週刊文春にコラム記事として書き続けた。

3)1997年(平成9年)6月20日に放送されたNHKスペシャル「官のピラミッドは崩せる か」においては、猪瀬の「日本国の研究」で俎上に乗せられた日本道路公団と財団法人道路施設協会、そしてそこから随意契約で仕事を受ける公団ファミリーの企業の様子が、やはり猪瀬と同じ論調で紹介された。猪瀬自身もテレビのニュース番組や雑誌の対談などに度々登場し、当時厚生大臣だった小泉純一郎、小泉政権で郵政民営化担当大臣も務めることになる竹中平蔵とも対談などをしている。

4)「公益法人制度そのものの改革は、公益法人室の本来の使命ではなかったし、その時点では誰も考えていなかった」小山 裕[2009]、 116頁。

5)猪瀬直樹[2001]、238頁。

6)森泉章や田中實などの先駆的な研究だけでなく、昭和61年(1986年)3月には、橋本徹 (関西学院大学教授)、古田精司(慶應義塾大学教授)、本間正明(大阪大学教授)、関 成一(国際文化教育文化交流財団事務局長)、 佐野善之(サントリー文化財団専務理事)をメンバーとする公益法人税制研究会が、「公益法人をめぐる税制改正に関する提言」を発 表している。そこでは後の公益法人改革の論点はほとんど提示されており、さらにそれを 上回る提案がなされている。また、同時期に、 林修三(元内閣法制局長官)、宮崎清文(元総理府総務副長官)、田中實(慶應義塾大学教授)、森泉章(青山学院大学教授)など団体法の研究者グループによる公益活動研究会 も、「公益法人及び公益信託に関する基本法の必要性について」という提言を行っている。

7)、8)小山 裕[2009]、116頁。

9)山岡義典[2013]「公益法人の世界、民間非営利の世界⑶」『公益法人』、2013年5号、34頁。

10)NPO法成立をめぐるプロセスについては、 谷勝宏[2003]、小島廣光[2003]、初谷勇 [2001]などいくつかの研究で詳細に分析されている。

11)2003年(平成15年)1月にNPOサポートセ ンター連絡会全国会議が公益法人制度改革に対しての声明文を採択し、翌2月にはそれを 修正し、行政改革担当大臣に申し入れを提出した。また、シーズも同じ 2 月に公益法人制 度改革に関する意見書を発表した。これらと 連鎖して、各地のこれについての集会が NPOサポート組織を中心にして開催された。 この「申し入れ」やNPOサポートセンター 連絡会の動きについては、NPOサポートセンター連絡会[2003]に詳しい。

12)山岡義典[2013]「公益法人の世界、民間非営利の世界⑶」『公益法人』、2013年5号、37 頁。

13)新制度理論、新制度派組織論、制度派組織論などとも呼ばれるが、ウェバー、バーガー、 セルズニックなどの社会学者の理論をベースにしていることから、ここでは社会学的制度理論と呼ぶ。

14)社会学的制度理論のミスリードと研究動向については、松嶋登他[2015]を参照のこと。


[参考文献]

 猪瀬直樹[2001]『構造改革とはなにか―新篇日本国の研究』、小学館。

 NPOサポートセンター連絡会[2003](山岸秀雄・菅原敏夫・浜辺哲也編)『NPO・公 益法人改革の罠 -市民社会への提言』、第一書林。

 岡本仁宏編著[2015]『市民社会セクターの可能性』、関西学院大学出版会。

 小山 裕[2009]「公益法人制度改革前史・序章 : 改革はこう始まった」『嘉悦大学研究 論集』51⑶、115-131頁。

 小島廣光[2003]『政策形成とNPO法 ―問題,政策,そして政治』、有斐閣。

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 谷 勝宏[2003]『議員立法の実証研究』、信山社。

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(論稿提出:平成28年12月14日)


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