top of page

《査読論文》“クリープ現象” としての収支相償論 / 出口正之 (国立民族学博物館教授)

※表示されたPDFのファイル名はサーバーの仕様上、固有の名称となっています。

 ダウンロードされる場合は、別名で保存してください。


国立民族学博物館教授  出口正之


キーワード:

収支相償 公益法人 クリープ現象 短期の特定費用準備資金 政策人類学


要 旨:

 本稿は公益法人制度の中でも評判の悪い規制である「収支相償」を例にとりあげることに よって、「意図せざる政策上の小さな変動」が起こり得ることを「クリープ現象」という新概念によって明らかにしている。「制度設計」期間と「公益認定等委員会公益法人の会計に関する研究会」の活動の期間における、議事録、報告書などの公表資料を検討することによってその間の変化を探った。その結果、「収支相償」については、両期間の間に、公益目的事業の収入をすべて適正な費用として賄う「厳格非流用制約」から、黒字忌避論としての「非黒字制約」へと規制が変化する「正の規制的クリープ」現象が観察し得ることを明らかにした。


構 成:

I  はじめに

II T0期間と Tp 期間の摂動

III 認定法上の「収支相償」という用語の誕生

IV クリープ現象

Ⅴ 「短期の特定費用準備資金」概念の消滅

Ⅵ 結論


Abstract

 This paper takes an example of “RENEC”(the revenue pertaining to a program for public interest purposes is expected not to exceed the amount compensating the reasonable cost for its operation)as regulation to the Public Interest Corporations, and shows the new approach to the policy studies. This research develops the new concepts “Creep Phenomena” that mean unintentional creeping change of the policy. The research was conducted by methods to compare to intension at period during initial stage of the reform and period during active time of the official accounting research group of the Public Interest Corporation Commission through public documents including minutes and reports. The regulation as “RENEC”, originally, means all the revenue must be compensated as “the reasonable cost”. “RENEC” was shifted from “strict misappropriation constraint” to the regulation of “balance of between revenues and expenses”, according to the report in 2015. Therefore process between 2007 and 2015 shows the “positive regulatory creep”.


※ 本論文は学会誌編集委員会の査読のうえ、掲載されたものです。

 

Ⅰ はじめに

 本稿の目的は、「収支相償」に関する意図せざる解釈の変容が生じたことを明らかにし、文化や言葉の力によって政策が揺れ動き得るということを示そうとするものである。それは政策研究の場で非人格的に扱われていた政策執行集団が人間である以上、政策に関してある幅を有しながらその時々に変化していることを客観的に示そうとする試みである。本研究は実際の政策の執行から生まれた成果であり、その手法は 「政策人類学」という新しい方法論による1)。  

 本稿における収支相償とは、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(平成18年6月2日法律第49号。以下、認定法という。)5条6号「その行う公益目的事業について、当該公益目的事業に係る収入がその実施に要する適正な費用を償う額を超えないと見込まれるものであること」及び同14条「公益法人は、その公 益目的事業を行うにあたり、当該公益目的事業の実施に要する適正な費用を償う額を超える収入を得てはならない」の略称として使用する。  

 認定法の公式的な法令解釈である「公益認定 等に関する運用について」(公益認定等ガイドライン平成20年4月)は、公表直後に、一部修正が検討され、修正案とともに2008年9月5日にパブリックコメントに付された(公益認定等委員会 事務局[2008b])2)。  

 本稿では、認定法の成立(2006年6月2日)か らガイドラインの制度設計に一貫性が見られる 2008年9月5日の当該パブリックコメント募集時期までを、「制度設計時」(T0期間)と呼ぶ。 このT0期間からの政策の「摂動」3)を追うこと にしたい。従来、ウェーバーなどでは官僚制は非人格的な結び付きによる合理的な組織として理解されてきたが、ここでは政策人類学的な立場から、官僚制は人間の集団である以上、合理的な意図を持ったインプットが非合理的なアウトプットを生むことも当然の前提としておく。  

 そのうえで、T0期間と一定期間を置いた後 の政策上の摂動を比較したい。具体的には内閣府の考え方が公表資料で明確にされた期間すなわち「公益法人の会計に関する研究会」(以下 「会計研究会」という)が設置されたとき(2013年7月12日)から、『公益法人の会計に関する諸課題の検討状況について』の報告書が出されFAQが改正されるまで(2015年3月31日)の期間をTp期間として、T0とTpの間の言説の相違点を取り上げた4)


Ⅱ T0期間とTp期間の摂動

 例えば、T0期間では、認定法5条6号の趣旨については「公益目的事業は、不特定かつ多 数の者の利益の増進に寄与すべきものです。そこで公益目的事業の遂行にあたっては、動員可能な資源を最大限に活用し、無償又は低廉な対価を設定することなどにより受益者の範囲を可能な限り拡大することが求められます。  

 そのため公益目的事業を行うにあたり、当該公益目的事業の実施に要する適正な費用を償う額を超える収入を得てはならないものであることを認定基準として設けることとしたものです」(新公益法人研究会[2006]204頁)と説明されていた。この点について公益認定等委員会では、「『収支相償を厳格に適用すると公益目的事業の継続性について非常に危ぶまれる』という意見があった訳ですが、法律上は収入が費用を超えないと明確に書いている訳ですけれども、当然、事業については年度によって収支が変動することを踏まえて、特定の費用に充てるための準備資金や実物資産の取得に充てるための資産取得資金を活用してもらうことによって、中長期的に均衡すればいいという仕組みを用意することで、事業の継続性については、そういう仕組みを活用することによって確保できるので はないかということであります」(公益認定等委員会2007第34回議事録。下線部引用者。)と公益目的事業の黒字を想定した事業の継続性に基づいた制度設計を行っている。

 これに対して、Tp期間では、「一般に公益目的事業は、事業年度を単位として実施されるものであることから、費用と収入のバランスを示す、認定法第14条に規定される『適正な費用を 償う額を超える収入を得てはならない』という収支相償の判断も、事業年度単位で行うことが原則となる。しかしながら、法人側からは、『単年度では偶発的事象により収支相償を満たせない場合があり、複数年度判定する必要がある』といった意見もあり、検討を行った」(公益認定等委員会・公益法人の会計に関する研究会[2015]13頁)とある。原則論として「費用と収入のバランス」つまり、単年度で均衡するものという認識が示されている。また、法人側の意見に対応する形で緩和策を検討したという立場を表明している。

 収支相償に対する民間側の反応は悲惨ですらある。公益法人の多くの声を代弁してきたと思われる公益法人協会では「決算期を迎えて、黒字が出そうな公益法人は多かれ少なかれ、この問題に頭を悩ましている。公法協への問い合わせも多い。収支相償規制は、どう考えても実に問題が多い。第一に(中略)。第二に、経営努力が仇になる問題、血の滲み出るような努力を重ね赤字を出さないことが、およそ経営にあたるもの責務であるが、首尾よく黒字が出れば咎められるという世間の常識と反対の現象。第三に、単年度で結果が問われること、過去の赤字体質を脱却して、ようやくある年度に黒字が出た場合でも、その黒字が出た年度だけを見て違反とされる」(太田[2014]。下線部引用者)

 つまり、収支相償の制度があたかも常識はず れの「子供っぽい戯画」(マリノフスキー[1967] 79頁)であるかのように受け止められている。 この時点では明確に「黒字は咎められる」という認識が蔓延したといえる。これを「収支相償」の黒字忌避論、「非黒字制約」と呼んでおこう。 つまり、二期間の間に、「適正な費用」以外には償わせないという含意から「黒字を咎める」という含意に「摂動」が生じたといえる。


III 認定法上の「収支相償」という用語の誕生

 本稿はかかる事態がなぜ生じたのかを明らかにしていくが、その前に「収支相償」とはいかなる用語なのかを検討してみよう。2007年4月27日第5回公益認定等委員会時には「実費弁償」の用語が「公益目的事業に係る収入がその実施に要する適正な費用を超えない」という意味で使用されたが、委員から「実費弁償」という税法上の用語を使用することについての疑義が出され、同年10月5日の第19回公益認定等委員会で初めて「収支相償」の用語が登場した。もちろん、ここでは認定法上の意味を表し、一般用語でも会計用語でもない法律用語として使用されている。

 ところで「収支相償」という用語は、それほど一般的ではないにしろ、これまでも使用されてきた例がある。これを検討してみたところ、以下の三つの用法が認められる。第一は、赤字体質からの脱却という意味での〈収支相償〉(認定法上の「収支相償」と区別するため、他の用法は〈収支相償〉と表現する)である。〈収支相償う〉という動詞形の場合も多く、明治時代から 用いられている(例えば荒幡克己[1998])など)。 ここでは赤字が否定的な含意であって、「非赤字制約」と言ってよい。第二は、規制産業のミクロ経済学(利潤最大化あるいは売上げ最大化などの制約条件下の最大化を解くモデルを使用する学問として)での制約条件としての〈収支相償〉が 使用されている(例えば浜田浩児[2000]。ここでは「非営利制約」と呼ぶ5)。これは最大化を求めるに あたっての制約条件であり、良し悪しの価値観は入り込まない。第三には、「収支均衡」という意味での 〈収支相償〉。(例えば多木誠一郎[2004])など。)。 収支のマイナスプラスに対しては中立的な評価をしており、ここでは「中立的均衡制約」と呼んでおきたい。  実際のT0期間での意味はどのようなものだったのだろうか。制度設計者は次のように説 明する。「(事務局)『適正な費用を償う額』の 意義です。認定法上の費用概念はいろいろなところで用いられておりますが、公益目的事業比率の計算等においては基本的には損益計算書の経常費用を基礎としていることにならい、ここにおきましても損益計算書の経常費用の部における公益目的事業費を基礎としたいということです。

 ただし、公益目的事業比率や遊休財産額の規制等におきまして、その費用については当該公益目的事業に係る特定費用準備資金、これは将来の特定の活動の実施に充てるために特別に法人において管理して積み立てた資金は費用額に繰り入れるという調整項目を設けていますが、その調整項目として繰り入れた額も適正な費用に含めたいと思います。

 また、この『適正な』という意味は、無駄なとか、不相当な支出をしていないということでもありますので、謝金、礼金、人件費等で不相当に高い支出が見られる場合には、適正な費用とは認められないものとして扱いたいと考えております。」(第19回公益認定等委員会議事録。下線部引用者。)つまりT0期間における認定法上の「収支相償」は、バランスという意味はなく公益目的事業の「適正な費用に償いさせよ」と いう制約である。それをここでは「厳格非流用制約」6)と呼んでおこう。 文化面を重視する本稿の研究態度からいえば、〈収支相償〉という用語自体が、「収支バランス」を想起させ、それ自身が新たな意味を創出する可能性のある用語だと考えられることに留意しておきたい。


IV クリープ現象

 法令が変更されることがなく、かつ法解釈が意図的に変更されることもなく、徐々に摂動していく現象の存在を仮定し、それをここでは「クリープ現象」と名付ける。

 コンプライアンス重視から、法令以上の自主規制を企業自身が課すことを Compliance Creep(Johnson[2009])ということがある。例えば、「李下に冠を正さず」=「羹に懲りて鱠を吹く」 ことから、民間側が法令以上に自主規制していくことをコンプライアンス・クリープという(出口[2015a])。

 この点は同様に行政側でも起こり得ることで あることにも留意が必要である。そこで、行政側が規制するにあたって、徐々に規制の度合いを変化させることを regulatory creep(規制的クリープ)と名付け、その場合、規制が強化される場合を positive regulatory creep(正の規制的クリープ)、逆に徐々に緩和される場合をnegative regulatory creep(負の規制的 クリ ープまたは 規制緩和的クリープ)とここでは名付けよう(図1)。 こうした新概念を用いながら、本稿では「収支相償」の政策において、クリープ現象の存在を立証していきたい。


図1 クリープ現象

出所:筆者作成


 既にみたとおり「収支相償」が「厳格非流用制約」から「非黒字制約」に変化したものとすると、そこには黒字を表現する用語が存在している筈である。それが「剰余金」であるが、「剰余金」はTp期には以下の3点の意味で使用されている。

① 「収入費用差額」  公益目的事業費の収入から費用を控除した余り。これはガイドラインにはないが、Tp期間において内閣府は盛んに用いている7)  ガイドライン上の「剰余金」

 収支相償の「収入」から「適正な費用」を 控除した余り(=内閣府への公式の報告書類の中の別表 A (1)の一番下※第二段階における剰余金の扱い。これはガイドラインと同じ意義で用いられている)。1とは特定費用準備資金への積立額を含むか含まないかの大きな違いがある。 ③ 「残余金」

 2の「剰余金」からさらに資産取得資金繰入額、当期の公益目的保有財産の取得費を控 除した後の残余で、「このような状況にない場合は翌年度に翌年度の事業拡大等により同額程度の損失となるようにする。」(ガイドライン)。ここでは「残余金」と呼ぶ。

 ガイドラインでは残余金が生じた場合であっても「事業の性質上特に必要がある場合には、 個別の事情について案件毎に判断する。また、この収支相償の判定により、著しく収入が超過し、その超過する収入の解消が図られていないと判断される時は報告を求め、必要に応じ更なる対応を検討する」となっており、「非黒字制約」は出てこないし、ガイドライン上はそれが直ちに「収支相償」に違反するとは明記していない。繰り返しになるが、ガイドラインが主張するのは「適正な費用」ではない支出をすることによる収支相償の逸脱である。

 かかるクリープ現象が生じたことについては、 各種の痕跡が存在している。例えば、事業報告書の別表 A (1)では、経常収益計の欄に「前年度に6欄がプラスの事業がある場合には当該剰余金の額を加算してください」と付記されている(図2)。もしこの額を本当に加算すべきであるのならば、「独立した欄」が設けられるべきものであるが、経常収益と関係ないものを別途計算して記載しなければならない表が作成されているということは、「クリープ現象」の証拠の一つであるし、加算しなければならない根拠は法令及びガイドライン上は見当たらず、FAQ問V-2- 5 (内閣府公益認定等委員会事務局[2008d])の中にかろうじて見出せる。


図2 ガイドラインと異なる別表A(1)

出所:内閣府「事業報告等提出書類一式」(平成22年3月31日更新)より引用。なお、丸枠は引用者。


 さらに同じく別表A (1)表ではガイドラインを引用した形で、「その剰余相当額を公益目的保有財産に係る資産取得、改良に充てるための資金に繰り入れたり、公益目的保有財産の取得に充てたりするか(前半部)、翌年度の事業拡大を行うことにより同額程度の損失となるようにしなければなりません(後半部)」(「前半部」・「後半部」の用語は引用者が挿入)とあるが、ガイドラインでは、前半部は「本基準は満たされたものとして扱う」とされている。また、後半部についても、「事業の性質上特に必要がある場合には、個別の事情について案件毎に判断する。」となっており、収支相償を満たす場合もあることを示唆している。

 別表A (1)表は収支相償の基準を満たしているのか満たしていないのかが直接反映されていない。  ところが、Tp期になると、前半部と後半部の差異がなくなる。「収支相償を満たしているか満たしていないか」という法令上の基準ではなく、定義の曖昧な「剰余金」が重要用語として突出し、「剰余金の解消計画」が前面に出ることで「剰余金を1年で解消するのか2年で解消するのか」という処理が前面に出るというクリープ現象を生じさせている。そのうえで「1年で解消すること」を「2年で解消すること」 に緩和したという提案を行っている。これらをまとめるとのようになる。


図3 第二段階における剰余金の前半部と後半部

出所:内閣府「事業報告等提出書類一式」(平成22年3月31日更新)より引用。なお、下線部及びは(前半部)、 (後半部)の文字挿入は引用者。


表 第二段階における剰余金の扱いの認識の相違点

出所:筆者作成


V 「短期の特定費用準備資金」概念の消滅

 それでは「クリープ現象」が生じた要因について、「政策人類学」という立場から検討していこう。その一つとして「短期の特定費用準備資金」というT0期間の概念を挙げてみたい。公益認定等委員会におけるこの説明は以下のとおりである。「(事務局)お手元の資料1で、認定法関係の『ガイドライン』の追加について御説明を申し上げます。(中略)第1段階の事業ごとに収支を見る場合には、収入が費用を超過した場合の処理方法として、特定費用準備資金の1つの変形バージョンで、翌年度にその事業に充てるという、短期の特定費用準備資金として経理することも可能なことを『ガイドライン』で明らかにしようということであります。」(公益認定等委員会2008b 第36回議事録)

 ところが、ここでT0期間から次の段階T1期間へ移ると、早くもクリープ現象が始まっている。T1期間である2008年11月27日の公益認定等委員会では「(事務局)『短期の特定費用準備資金』が混乱を生じて、わかりにくいというご意見8)を頂きました。わかりにくいという意見を頂きましたことを踏まえまして、『短期の特定費用準備資金』という用語を『短期調整額』という言葉に改めることとしたいと考えております。併せまして、この『短期調整額』が流動資産の範囲内で計上することができるものであるということ、また、この『短期調整額』というのは、短期、すなわち1年以内でございますので、翌年度の事業費に確実に費消していただく必要があるということ、したがって、連年計上はできないということを明確にするために、文章につき所要の調整を加えることとしたいと考えているものであります。」という提案に変わる(公益認定等委員会[2008c]第40回議事録。下線部及び注は引用者)。しかし、「(大内委員)収支相償の原則の運用はフレキシブルにやりますよというメッセージなんですよ。それだけのことなんです。それだけのことと言っては語弊がありますけれどもね。

 それをまた、なお書きで作って、今度は、2年目からは絶対だめですなんて、こういうフレキシブルな原則をまた今度は縛ろうとするのは、自己撞着に陥っているというか、2年目でも収入がたまたま多かったということはあるかもしれないのだから、それは、運用の基準としては、2年目からは絶対だめですなんて、そんな基準をあらかじめ作っておく意味もないわけです」(第40回公益認定等委員会議事録)という発言に象徴されるとおり、単に用語を変更するという提案だけであるのに、1年という従前にはなかった説明に公益認定等委員会委員は誰一人納得していなかった。詳細に検討すれば、提案はパブリックコメントの質問に答えるのではなく、質問を生じさせる「特定費用準備資金」の用語を回避し、「短期調整金」の用語に変えたうえで、「短期」は流動資産だから1年以内であるという法令上の議論にもならないような理由しか説明していない。「収支相償上フレキシブルに行う」メッセージとしての「短期の特定費用準備資金」は「特定費用準備資金」という用語を使用することにより認定法5条6号だけではなく、同5条8号の遊休財産規制からも外れるという誤解が生じることが問題視された。

 そこで、同法5条6号との関係のみにおいて、効果があることを示したものが「短期調整金」という用語であった。言い換えると政策上の含意として、「短期調整金」と提案された「短期の特定費用準備資金」とは何ら変わるところがないというものである。この間の経緯を残しておく必要から、公益認定等委員会で検討されたガイドライン追加案及び平成20年4 月期間でホームページに掲載したFAQ等においては、「『短期の特定費用準備資金』との用語を用いてこの剰余金の取扱いを説明していましたが、『本来の特定費用準備資金』との要件や経理方法について誤解が生じるとの指摘があったことを踏まえ、上記のように整理し説明を改めました」(旧FAQ問V-2-5)9)とFAQに記載をすることでこの間の混乱を避けようとしていた。  

 しかしながら、収支相償に関してだけいえば、「短期の特定費用準備資金」という表記ははるかにわかりやすい。「短期の特定費用準備資金」 として積み立てれば、「適正な費用」の中に入り(剰余金ではなくなり)、取り崩したときには、「収入」に加算される。「短期の特定費用準備資金」のクリープ現象が図2にみるような別表 A ⑴を生み出した。別表A ⑴との関係でいえ ば、特定費用準備資金の欄に記載していけばよいわけである。  

 ところが、収支相償上は「短期の特定費用準備資金」と同等の意義として「短期調整金」として残存していたにもかかわらずに、(Tp)期 になって、会計研究会の「剰余金」解消計画の1年延長が突如として出現した。言い換えれば、2年間しか「剰余金」を認めないという、規制強化に変化してしまった。さらに収支相償上は 「短期の特定費用準備資金」と同義であるとされていた「短期調整金」については FAQ 上からも、少なくとも公表資料からは議論した形跡 がないままに削除され、(Tp)期に、完全に「短期の特定費用準備資金」の概念が消えてしまったのである。とりわけ、クリープ現象としてこれが特筆されるのは、会計研究会が緩和策を検討した結果として、むしろ T0期の規制緩和の中心部分が、変更されている点である。これこそは「意図せざる政策変更」といえるだろう。


Ⅵ 結論

 以上のとおり、「収支相償」には、「厳格非流用制約」から「非黒字制約」への「正の規制的クリープ」(positive regulatory creep)が観察し得るといえる。一つには〈収支相償〉という用語自体が持つ語感からくる「バランス」への暗黙的な先入観から生じるクリープ現象が認めら れた。さらに「短期」という会計用語への反応がクリープ現象として観察された。  

 以上のとおり、政策を政策人類学という立場から詳細に見ていくことによって、ウェーバー が「非人格的」と称した官僚制の中にも、人間集団としての合意形成の不可避的な変化が認められ。「クリープ現象」という新しい概念が政策研究の中で有用であることを結論としたい。


[注]

1)「政策」をフィールドとして捉える立場。例えば、Shore,& Wright[1997]、出口[2015a] を参照。

2)2008年9月5日「公益認定等ガイドラインの 追加について(案)に関する御意見募集」案件番号095081090。それ以前に、同年3月1日「公益認定等に関する運用について(公益 認定等ガイドライン)」案件番号095080290が 存在する(内閣府公益認定等委員会事務局 [2008a])。

3)「摂動」とは物理学用語で、理論的にはあるルールに従うが実際には付加的な小さな力を受けてルール通りにいかないことをいう。例えば、惑星の運動はケプラーの法則に従うが、 実際には、他の惑星の等の引力の影響を受けて小さなずれが生じる。これを摂動という。同様に、理論的には立法府が作った法令に基づいて非人格的な行政府が執行すれば、同じ結果になるはずであるが、人間集団としての知識の影響などを加味してそれがずれている ものとして「摂動」という用語を一旦ここでは使用する。

4)本論文はこうした摂動が生じることの是非を問うものではなく、現象として期間中のどこかで変化が生じたことを中立的に述べることを目的としている。したがって、どの時点で 変化が生じたかという点よりも変化の事実認識に重点をおいているため、期間については、 T0とTpを原則として扱い、両者の間の期間については、公表資料が少ないために原則として分析の対象とはしない。しかし、便宜上、T0の終了時から筆者が内閣府公益認定等委員会委員であった2013年3月31日までを便宜上T1期間、それ以降でTp開始までの期間をT2期間とし、筆者の当事者としての期間である T1で生じたことが明確である点についてはその事実を明らかにした。

5)こうしたモデルは海外の文献では非常に多く、 “nonprofit constraint” の用語が使用されている。例えば、Gale, D., & Hellwig, M.[1985] など。

6)認定法18条で公益目的事業財産は公益目的事業にしか使えないという「非流用制約」が存在するので、さらに不相当に高い謝金、礼金、 人件費等の支出を適正な費用から外すという意味において「厳格」という用語を付加した。

7)例えば、会計研究会の最終報告書についてのパブリックコメント回答で内閣府は「ガイドラインⅠ. 5 ⑷剰余金の扱いその他においては、剰余金の定義を記載しているものではな いと考えます。剰余金は、収入を費用が上回 る場合の、上回った額を指すものと考えられ ます。そのため、特定費用準備資金の積み立ては、剰余金の解消理由の一つであると考え ています」とはっきり主張している(内閣府公益認定等委員会事務局[2015])。これはガイドラインや議事録の記述と大きく異なる。 詳しくは出口[2015b])を参照。

8)パブリックコメントでの質問は以下の通りである。「本来の特定費用準備資金の要件は満たさなくて良いのか?特に資金の区分管理の要件はどのように満たすことができるのか? 貸借対照表や財産目録ではどのように表示するのか?現預金等の等とは何を示すのか?期 末日において『収入が費用を上回る金額』が 実際の現預金等よりも多い場合は、どのよう に取り扱うのか?   

 公益目的事業比率及び遊休財産の保有上限額の計算において、短期の特定費準備資金も 含まれるのか?を明確にしていただきたいと考えます。」(内閣府公益認定等委員会事務局 [2008c])

9)会計研究会の報告書の後の2015年4月のFAQの改正で、何の説明もなく、この部分は削除され、短期調整金も短期の特定費用準備資金もなくなってしまっている。これもクリープ現象の一つである。


[参考文献]

荒幡克己[1998]明治期の藍の土地利用方式。 『農林業問題研究』、34.1: 33-40頁。

ウェーバー、マックス著 阿閉吉男、脇圭 平訳[1987]『官僚制』恒星社厚生閣。

太田達男2014「この罪深きもの―収支相償」 公法協 E-mail 通信 No.173、2014。

公益認定等委員会[2008]『公益認定等に関する運用について(公益認定等ガイドライ ン)ガイドライン平成20年4月』。

公益認定等委員会[2007a]第 5 回議事録。

公益認定等委員会[2007b]第19回議事録。

公益認定等委員会[2008a]第34回議事録。

公益認定等委員会[2008b]第36回議事録。

公益認定等委員会[2008c]第40回議事録。

公益認定等委員会・公益法人の会計に関する 研究会[2015]「公益法人の会計に関する諸課題の検討状況について」。

新公益法人研究会[2006]『一問一答公益法 人改革三法』商事法務。

多木誠一郎[2004]「協同組合と株式会社― 協同組合法の商法準拠は株式会社への道 か」。『協同組合研究誌にじ』Vol.608、11- 22頁。

出口正之[2015a]「公益法人制度の昭和改革 と平成改革における組織転換の研究」『非 営利法人研究学会誌 VOL.17』非営利法人 研究学会。

出口正之[2015b]「収支相償と適正な費用の範囲」『公益・一般法人』2015年7月1日号(896)、全国公益法人協会、34-42頁。

内閣府公益認定等委員会事務局[2008a]「公益認定等に関する運用について(公益認定等ガイドライン)案に関するご意見募集」 案件番号095080290。

内閣府公益認定等委員会事務局[2008b]「公益認定等ガイドラインの追加について(案) に関する御意見募集」案件番号095081090。

内閣府公益認定等委員会事務局[2008c]「公益認定等ガイドラインの追加について(案) に関する意見募集の結果について」案件番号095081090。

内閣府公益認定等委員会事務局[2008d]旧FAQ 問 V - 2 -⑤。

内閣府公益認定等委員会事務局[2015]「『公益法人の会計に関する諸課題の検討状況に ついて(最終報告書素案)』に関する御意見について(御意見の取りまとめ)」。

浜田浩児[2000]「非営利団体、自治体による社会福祉サービス供給の経済厚生上の意 義」『生活経済学研究』15、 2 。103-118頁。

マリノフスキー[1967]『西太平洋の遠洋航海者』中央公論社、78頁。

Gale, D., & Hellwig, M.[1985]“Incentive compatible debt contracts: The one-period problem”. The Review of Economic Studies, 52(4), PP.647-663.

Johnson, D. L.[2009]“Seeking Meaningful Nonprofit Reform in a Post SarbanesOxley World”. Louis University Law Journal, 54, PP.187-240.

Shore, C., & Wright, S.(Eds.).[1997] Anthropology of policy: Perspectives on governance and power. Routledge.

(論稿提出: 平成27年11月30日)

(加筆修正: 平成28年 4 月14日)


bottom of page